100名城を巡る 松阪城
2024.01.14
2024.08.12
この連載は、公益財団法人日本城郭協会が定めた「続日本100名城」の中で、
筆者が訪れたことがあるお城を紹介してゆくものである。
なお、城郭名は「続日本100名城」の表記に合わせ記してゆく。
今回の史跡は、続日本100名城の155番、三重県熊野市の「赤木城」です。
羽柴秀吉による紀州攻め後の1585年(天正13年)、
紀伊国を任された羽柴秀長が、まずは家臣の藤堂高虎を奉行として派遣。
この人事は鉱山や良質な木材の産地であるこの地を治めるためでしたが、
地元の地侍たちは羽柴秀吉による統治に反発し一揆が勃発する事態に。
これに悩まされた羽柴秀長は、1586年(天正14年)に起こった北山一揆後、
1588年(天正16年)頃、藤堂高虎に「赤木城」の築城を命令し一揆を鎮圧。
浅野氏が治める1614年(慶長19年)に再び北山一揆が起こりますが、
この一揆も鎮圧、その後役目を果たした「赤木城」は廃城となったと考えられています。
1992年(平成4年)からおよそ13年かけて大規模な整備工事が行われ、
崩れていた石垣の積みなおしや遊歩道の整備がされました。
城内には3~4mほどの高さで積まれた石垣や、連続する桝形虎口、
主郭の横矢掛かりなどがあり、コンパクトながら見どころ満載な城です。
・こちらの駐車場からスタート、縄張り(設計)も近くの案内図でチェック
・駐車場横にあるのは、「伝鍛冶屋敷跡」
発掘調査で永楽通宝や染付け椀のかけらが出土したそうです
・東郭の石垣を見ながら、伝鍛冶屋敷跡の先にある階段を登りましょう
・門跡を通過し、左手に伸びる「東郭」へ
礎石が見つかっており、往時は建物もあったようです
・振り返り、東郭から本郭方面を見た図
・東郭からみる「西郭」方面、馬蹄型の城郭が良くわかりますね
・東郭と主郭をつなぐ下段の「桝形虎口」を下からと上から
往時は階段がなく、梯子で昇り降りしていたと考えられています
・桝形虎口の階段を登ると、いよいよ主郭が目前に
・巨石を用いた上段の虎口周辺と、北へ延びる主郭石垣はお見事!
「赤木城」のある「奥熊野」といわれる土地は、
古くから地元の土豪や地侍と呼ばれる人々が治めていた地だとか。
そのような地域に、突如としてあらわれたのが羽柴秀長という領主。
今まで自分たちのルールでうまいことやっていたのに、
検地や何やで色々と制限され不満がたまるのは想像に難くありません。
その様な不満が募り爆発したのが、1586年(天正14年)に起こった北山一揆です。
一揆鎮圧には羽柴秀長自ら出陣、当初はてこずるものの1ヶ月ほどでほぼ制圧。
一揆勢は降伏し許しを請うものの、羽柴秀長はこれを許さずさらなる攻撃を命令します。
この頃、羽柴秀吉は豊臣姓を賜り「豊臣秀吉」となり太政大臣に就任し、
小牧長久手の戦いで敵対した徳川家康を上洛させることに成功。
さらに、大友宗麟からの求めに応じ九州攻めを開始させ、
豊臣姓を与えられた豊臣秀長は、総大将として出陣し九州平定に大きく貢献しました。
九州から帰った豊臣秀長は、すぐさま藤堂高虎に「赤木城」を築かせ一揆勢攻略へ。
一説では、一揆勢の降伏を受け入れるふりをして赤木城完成の祝いに来るよう促し、
「赤木城」へ来た363人の一揆勢を捕縛、田平子(たびらこ)峠で斬首したのだとか。
その後、1614年(慶長19年)大坂冬の陣時に起こった北山一揆でも、
鎮圧された一揆勢は田平子峠で斬首されたといわれており、
この出来事は「行ったら戻らぬ赤木の城へ、見捨てどころは田平子じゃ」
という歌となり、地元で語り継がれてきたそうです。
あわせて読みたい – 羽柴秀長が改修したとされる天空の城「竹田城」
・主郭の虎口すぐそばにある「城跡碑」と、上から見た上段の「桝形虎口」
・主郭から見た「西郭」方面と、「北郭」方面
北郭の先には、こちら側の守りとしてつくられた堀切があります
・主郭から降り、主郭の石垣を左手に見ながら一周
・城づくりの転換期といえる時期に築かれた隅部の算木積みや、
攻撃のため出っ張った部分をつくる横矢掛かりを堪能しましょう
・主郭から西へ進み「西郭」へ、写真の右側は崖になっています
水や食料を備えておくための建物があった場所と考えられているとか
・西郭先端あたりから振り返り、西郭と主郭の石垣を見上げる
・西郭からつながる階段を降り、生活の場だったとみられる「南郭」へ
・最後は、県道40号線からの遠景
望遠レンズをお持ちの方は、ここからの撮影をお忘れなく
「赤木城」から南西方向に行くとある「田平子峠」のほか、
日本の棚田百選のひとつである「丸山千枚田」もオススメ。
公共交通機関でも行けますが、車で行くのが良いでしょう。
展望スポットからの「丸山千枚田」
場所:三重県熊野市紀和町赤木122
電車でのアクセス:JR「阿田和駅」下車後、
「平谷行き」バス乗車、「赤木」下車徒歩10分
車等でのアクセス:熊野尾鷲道路「赤穂IC」から西方向へ約40分
地域カテゴリ
新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
三重県の記事
この記事の後によく読まれているおすすめ記事
バックナンバー記事
この記事へのコメントや情報提供をお待ちしています