武将愛 SAMURAI HEART

足跡を巡る 織田信長の巻:其の九(終)

2020.11.28

「足跡を巡る」とは

戦国武将の生涯を、写真とともに辿っていくシリーズ。
物事が起こった年代、諸説ある動機や人間関係などについては
深く考えずにざっくりとふれていく連載である。

石山本願寺戦の終結

各地で勢いづく織田軍ですが、伊賀へ独断で侵攻した織田信雄が百地丹波率いる伊賀衆に敗北。
写真は、百地丹波の居城だった百地砦跡です。


しかし、1580年には羽柴秀吉が三木城を兵糧攻めの末落とし、
信長を悩ませ続けた10年以上にも渡る石山本願寺との戦いもついに終結。
加賀では柴田勝家が鳥越城らを攻め落とし、この地の平定にも大きく前進します。


百地砦跡
所在地:三重県伊賀市喰代

鳥越城跡
所在地:石川県白山市杉森町1

能登平定と第二次天正伊賀の乱

年が変わって1581年。三宅長盛を追放し七尾城を完全に手中に収め、能登の平定も完了。
信長は直後に京都で大規模な馬揃えを行い、その権勢を大々的にアピールしました。


そしてこの年、前回敗北を喫した信雄が、今回は信長の命により再び伊賀へ進行を開始。
ゲリラ戦法に苦戦するも、織田軍は圧倒的な兵力で攻めこみ伊賀衆を降伏に追い込みます。


写真は、上が戦地となった壬生野城、下が伊賀衆が最後まで籠城した柏原城。



同時期、羽柴秀吉は鳥取で兵糧攻めを完遂し、三男・信孝は紀伊高野山攻めを開始しています。

七尾城跡
所在地:石川県七尾市古城町

壬生野城跡
所在地:三重県伊賀市川東1231

柏原城跡
所在地:三重県名張市赤目町柏原558

天下統一目前

1582年には、嫡男・信忠に命じ甲州の武田氏征伐へ。
仁科信盛の守る高遠城が落ちると、離反も相次ぎ武田勝頼は万事休す。
天目山付近で最後の奮闘の後勝頼らは自害し、ここに武田家は滅亡の憂き目にあいます。


その後、越中では富山城(写真)・魚津城で柴田勝家が上杉軍と戦い、
備中では羽柴秀吉が高松城の攻略を開始。この時点で太政大臣・関白・将軍、望めばどの職にも
なれたという信長。もはや事実上の天下人となったと言えるでしょう。


高遠城跡(高遠城址公園)
所在地:長野県伊那市高遠町東高遠

富山城跡(富山城址公園)
所在地:富山県富山市本丸1−1

本能寺の変

しかし、信長の「天下布武」は唐突に終わりを告げます。
援軍として備中行きを命じたはずの明智光秀が、信長が滞在していた本能寺を包囲。
謀反を知った信長は「是非に及ばず」と口にし、奮闘の末自害したと言われています。


志半ばでこの世を去ることになった信長。
歴史にもしもはない、とはいいますが「もし信長がその後も生きていたら…」
という妄想はこの先も語られ続けてゆくことでしょう。
次回からは、信長の「事業」を受け継ぐこととなった秀吉の足跡をお送りします。

本能寺跡
所在地:京都府京都市中京区元本能寺南町

おまけ

本能寺跡から東へ2キロくらいの所にある本能寺。秀吉の命により現在の地へ。
信長は生涯で四度本能寺へ滞在したそうで、本堂の裏に信長公廟所があります。


こちらは、織田家の菩提寺である崇福寺。こちらには信長・信忠父子の供養塔が。
岐阜城の床板を用いたという「血天井」など、他にも見どころ盛りだくさんです。

本能寺
所在地:京都府京都市中京区下本能寺前町522−1

崇福寺
所在地:岐阜県岐阜市長良福光2403−1

新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。マイ甲冑作成教室や甲冑試着体験を行う「あいち手作り甲冑サポート塾」に所属し、現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催。

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