武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2023年1月29日記事のため内容が古い可能性があります。

どこにいた家康 Vol.04 清須城

2023.01.29

この連載は、2023年の大河ドラマ『どうする家康』で舞台となった地を
後追い、あるいは先読みしながらご紹介していくものである。
なお、タイトルにちなんで、記載は年齢問わず「家康」で統一する。

『どうする家康』ちょっとふりかえり

徳川家康が織田信長の元へ赴き同盟を結んだ第四回。
木下藤吉郎、柴田勝家、お市の方という重要人物が新たに登場した他、
駿府に残した瀬名が大ピンチというめくるめく展開でした。

同盟の地・清須城

今回の史跡は、織田信長と徳川家康が同盟を結んだ清須城。
織田家の争いの舞台となり、織田信長が下剋上を果たした地となったほか、
今回の清須同盟、後に清須会議が行われた地として知られております。

対面しての同盟は実際なかったんじゃないかという説もありますが、
やはり三英傑が集結するこの出来事はドラマに欠かせないですね。

 

・清須城 大手門と「天守」

・清須城 大手門の横にある「信長塀」
織田信長が熱田神宮に奉納した塀を模したものです

・清須城 信長塀のあたり、西側から見上げる「天守」

・清須城 「天守」入口とは反対にあたる東側から
ちなみに、この天守は犬山城を参考にして建てたといわれております

・清須城 五条川にかかる大手橋と「天守」

 

古来からこの地域は「清須」とも「清洲」とも表記されていたようで、
ご当地清須市の見解では、1610年に徳川家康がおこなった「清須越」以前を「清須」、
それより後を「清洲」とわけて表記しているそうです。
現在ある模擬天守は「清洲城」ですが、今回はドラマにあわせて「清須城」としました。

 

・清須城 五条川を挟んで見る「天守」

こちら側には織田信長と濃姫の顔出しパネルがあり、こんな遊びもできます

・清須城 発掘調査で見つかった、本丸南側のものと思われる復元「石垣」

・清須城 「清洲古城跡碑」
現在天守は五条川の東側に建っておりますが、往時は西側にありました

・清須城 織田信長を祀る「織田信長公社」

・清須城 清洲公園に立つ「織田信長像」と「濃姫像」
桶狭間方面を見据える織田信長と、見守る濃姫という構図ですね

2012年頃まで濃姫像は天守の東側にありましたが、その後織田信長像の横に移動、
現在は夫婦円満につながるパワースポットとなっているそうな

 

次回は瀬名と子どもたち救出編で、本多正信と服部半蔵が初登場。
今川家から離れる決意した徳川家康、次回はどのような決断をするのでしょうか。

蹴鞠などに傾倒し家をつぶした無能、との評価もされてきた今川氏真ですが、
今回の「どうする家康」では、勇ましい姿を見せてくれそうなのも楽しみです。

今回の史跡

清須城(清洲城)
場所:愛知県清須市朝日城屋敷1番地1

 

 

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新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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