武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2021年12月18日記事のため内容が古い可能性があります。

城を巡る 復興天守の巻:岐阜城

2021.12.18

復興天守とは

かつては天守が存在した城に再建するもののうち、
資料が乏しいため他の天守を参考に再建したり、
資料はあるものの異なる外観で再建された天守を指す。

天下布武はじまりの城「岐阜城」

別名:稲葉山城、金華山城など。岐阜県岐阜市にある山城。
斎藤道三、織田信長らの居城であったが、1602年に廃城となる。
1910年再建の天守が焼失後、1956年に現在の天守が再建される。

織田信長像と麓からの天守

岐阜公園第1駐車場から少し西へ進み、門の方から入ってゆきましょう。
こちらには、躍動感あふれる若かりし頃の織田信長像があります。

門から公園内に入ると、正面の金華山上にある天守に目が釘付け。
信長の顔出しパネルから天守をのぞく、お遊びの1枚もついでに。

一ノ門跡

数ある登城路から、「百曲り登山道」を選択しいざ山上へ。
このルートで山上に行くと、まずあらわれるのがこの冠木門。

お次は一ノ門跡。右側に巨石を配置し、その下にも石垣があったとか。

堀切

一ノ門跡の先は馬場跡があったそうで、その先の左側には堀切があります。

発掘調査箇所

堀切から戻り天守方面へ進むと、道沿いに石垣の発掘調査箇所が。
ここだけではなく、城跡全体で発掘調査がおこなわれております。


ニノ門跡と下台所跡

発掘現場を左手に見ながら進むと、見えてくるのがニノ門跡。

その先、ニノ門跡をくぐると広がるのは下台所跡。
塀とともに天守を見上げる、撮影スポットのひとつといえるでしょう。

天守

下台所跡から階段を登っていくと、いよいよ天守が目前に。
天守はもちろんのこと、左手に広がる岐阜の町並みも素晴らしい眺めです。

天守台石垣

ちなみに、訪れたのは2020年1月。お目当てはコレ!

この織田信長時代のものといわれる、天守台石垣の公開日を目がけて行きました。

公開された天守台の北西側だけでなく、南東側の石垣もチェック。

天守へ至る通路の石垣

下台所跡に戻り、塀沿いに歩いていくと天守下の通路に出ます。
ここから見上げる石垣は素晴らしく、必見といっても過言ではありません。

織田信長居館跡

麓まで降り、最後は織田信長居館跡へ。大規模な庭園もあったとのことで、
滝を再現してみるなど、いろいろな実験も行われているそうな。


果たして、信長時代に天守は建てられたのか?夢の膨らむ天守台石垣でした。
次回は、総構えで難攻不落といわれた神奈川県にあるあのお城へ。

 

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岐阜城へのアクセス

電車で行く:名鉄「岐阜駅」もしくはJR「岐阜駅」下車、
      岐阜バス市内ループ線「岐阜公園歴史博物館前」下車後徒歩約3分。
車 で行く:東海北陸道「岐阜各務原IC」より、北西方面へ約20分。

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新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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