名古屋城石垣の刻印を見に行こう! Vol.04 大天守 其の四
2025.03.29
2021.12.18
かつては天守が存在した城に再建するもののうち、
資料が乏しいため他の天守を参考に再建したり、
資料はあるものの異なる外観で再建された天守を指す。
別名:稲葉山城、金華山城など。岐阜県岐阜市にある山城。
斎藤道三、織田信長らの居城であったが、1602年に廃城となる。
1910年再建の天守が焼失後、1956年に現在の天守が再建される。
岐阜公園第1駐車場から少し西へ進み、門の方から入ってゆきましょう。
こちらには、躍動感あふれる若かりし頃の織田信長像があります。
門から公園内に入ると、正面の金華山上にある天守に目が釘付け。
信長の顔出しパネルから天守をのぞく、お遊びの1枚もついでに。
数ある登城路から、「百曲り登山道」を選択しいざ山上へ。
このルートで山上に行くと、まずあらわれるのがこの冠木門。
お次は一ノ門跡。右側に巨石を配置し、その下にも石垣があったとか。
一ノ門跡の先は馬場跡があったそうで、その先の左側には堀切があります。
堀切から戻り天守方面へ進むと、道沿いに石垣の発掘調査箇所が。
ここだけではなく、城跡全体で発掘調査がおこなわれております。
発掘現場を左手に見ながら進むと、見えてくるのがニノ門跡。
その先、ニノ門跡をくぐると広がるのは下台所跡。
塀とともに天守を見上げる、撮影スポットのひとつといえるでしょう。
下台所跡から階段を登っていくと、いよいよ天守が目前に。
天守はもちろんのこと、左手に広がる岐阜の町並みも素晴らしい眺めです。
ちなみに、訪れたのは2020年1月。お目当てはコレ!
この織田信長時代のものといわれる、天守台石垣の公開日を目がけて行きました。
公開された天守台の北西側だけでなく、南東側の石垣もチェック。
下台所跡に戻り、塀沿いに歩いていくと天守下の通路に出ます。
ここから見上げる石垣は素晴らしく、必見といっても過言ではありません。
麓まで降り、最後は織田信長居館跡へ。大規模な庭園もあったとのことで、
滝を再現してみるなど、いろいろな実験も行われているそうな。
果たして、信長時代に天守は建てられたのか?夢の膨らむ天守台石垣でした。
次回は、総構えで難攻不落といわれた神奈川県にあるあのお城へ。
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電車で行く:名鉄「岐阜駅」もしくはJR「岐阜駅」下車、
岐阜バス市内ループ線「岐阜公園歴史博物館前」下車後徒歩約3分。
車 で行く:東海北陸道「岐阜各務原IC」より、北西方面へ約20分。
新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
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