武将愛 SAMURAI HEART

足跡を巡る 織田信長の巻:其の八

2020.10.23

「足跡を巡る」とは

戦国武将の生涯を、写真とともに辿っていくシリーズ。
物事が起こった年代、諸説ある動機や人間関係などについては
深く考えずにざっくりとふれていく連載である。

第三次信長包囲網

長篠・越前・岩村で勝利した信長は、同じ年に丹波攻略にも乗り出します。
まずは明智光秀に命じ黒井城を攻めさせますが、赤井直正の前に敗北を喫する結果に。


翌1576年には、信長包囲網に毛利氏も参加し、石山本願寺とともに信長へ牙を剥きます。
織田軍は、天王寺砦に押し寄せる本願寺勢に勝利するも、木津川口の戦いでは毛利水軍らに大敗。
毛利氏に制海権を取られ、物資補給を止められない苦しい展開となってしまいます。

一方で信長は次男・信雄と謀り、伊勢の不穏分子だった北畠一族を潰してしまおうと画策。
北畠具教を三瀬館で、北畠家臣や一門たちを田丸城で抹殺し、乗っ取りを成功させます。


上の写真が三瀬館跡、下の写真が田丸城跡。


黒井城跡
所在地:兵庫県丹波市春日町多田

三瀬館跡
所在地:三重県多気郡大台町上三瀬 大戸 地

田丸城跡
所在地:三重県度会郡玉城町114−1

雑賀攻めから毛利水軍撃破まで

1577年に入ると、まずは本願寺に与する紀伊の雑賀衆を攻め、苦戦しながらも停戦にこぎつけます。
その後織田軍は、包囲網に加わった上杉謙信と手取川で、離反した松永久秀と信貴山城で激突。
上杉軍に敗れるものの、松永久秀には勝利し包囲網に風穴を開けました。


信貴山城の戦い後、信長は播磨に羽柴秀吉を送り込み、対毛利氏という重要な役割を任せます。
そして、信長自身は石山本願寺へ。前回大敗した毛利水軍の火矢・焙烙という武器に対し、
今回は九鬼嘉隆に造らせた鉄甲船を投入。ここは圧勝し、信長の溜飲が下がる結果となりました。

信貴山城跡
所在地:奈良県生駒郡平群町信貴山1308

信長、安土城へ

木津川口を封鎖し補給路を絶つことに成功、いよいよ本願寺攻略なるかというこの時期、
三木城の別所長治や有岡城の荒木村重が相次いで離反し毛利氏側へ。写真は有岡城跡。


有岡城・尼崎城と場所を移しつつ抵抗する村重の対応などに追われ、本願寺攻略はまたもならず。


敵はまだ残るものの、脅威だった包囲網も崩壊寸前まで切り崩し、1579年には安土城天主も完成。
信長の天下統一への快進撃は、とどまることを知りません。


有岡城跡
所在地:兵庫県伊丹市伊丹1丁目12

尼崎城跡
所在地:兵庫県尼崎市北城内27番地

安土城跡
所在地:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦

おまけ

安土城築城と同じ時期、信長が琵琶湖の西側に築城させたのがこの大溝城。
明智光秀の縄張りだと言われているこのお城、現在も石垣が残っております。


信長と村重、二人の間に挟まれ苦悩したのが当時高槻城主だった高山右近。
最終的に右近が信長側へついたことが、両者の明暗を分けることとなりました。


大溝城跡
所在地:滋賀県高島市勝野

高槻城跡
所在地:大阪府高槻市城内町1

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新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。マイ甲冑作成教室や甲冑試着体験を行う「あいち手作り甲冑サポート塾」に所属し、現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催。

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