武将愛 SAMURAI HEART

100名城を巡る 松阪城

2024.01.14

この連載は、公益財団法人日本城郭協会が定めた「日本100名城」の中で、
筆者が訪れたことがあるお城を紹介してゆくものである。
なお、城郭名は「日本100名城」の表記に合わせ記してゆく。

全国屈指の石垣を誇る、蒲生氏郷が築いた「松阪城」

今回の史跡は、日本100名城の48番、三重県松阪市の「松阪城」です。

1588年(天正16年)、蒲生氏郷が築城したのがはじまり。
それまで居城としていた松ヶ島城の位置では町づくりが困難と考え、
南にあった四五百森(よいほのもり)へ新たに築城を開始します。

この時、蒲生氏郷は町の名を「松坂」と命名。
由来は、蒲生氏郷の出身地・滋賀県日野町にあった若松の森の「松」と、
豊臣秀吉が築いた大坂城の「坂」を組み合わせたといわれております。

現在は、「松阪公園」として整備され、「松坂城跡」として国史跡に指定、
「松坂城」ではなく「松阪城」という名称で日本100名城へ登録。
この点を松阪市観光協会の方にお聞きしたところ、

・歴史上の「松坂城」、現在公園として親しまれている「松阪城」
という顔があり、日本100名城への登録は市名と同じ「松阪城」にした
・築城当時と同じく、「大阪城」とあわせて「松阪城」にした

というような理由があるのではないか、とのことでした。

築城当時の天守をはじめとした建築物は現在残っておりませんが、
最大の見どころである素晴らしい石垣が残っております。

秀吉・信長・利休がその才能に惚れた「蒲生氏郷」とは

 

「松阪城」の見学ルート①

・松阪市駐車場からスタート、東南に進みながら石垣をチェック

・「表門跡」から中へ入る前に、案内板で全体図を確認しておきましょう

・表門跡から右方向へ、右手には写真左の「井戸」があります

・道なりに進むと、正面に見えるのが「松阪市立歴史民俗資料館」

・立ち止まり、「遠見櫓跡」の見事な石垣を振り返って一枚

・遠見櫓跡石垣の先を左へ進み、「助左衛門御門跡」から本丸跡下段へ

・正面に見えるのは「金の間櫓跡」の石垣、ここも左へ進みましょう

・遠見櫓跡を見てから、南東側にある「月見櫓跡」へ

・月見櫓跡の南側、写真左手が「太鼓櫓跡」、右手が本丸跡上段への道

・近年本丸跡への道につくられた手すり、なかなか馴染んでいると思います

 

「松阪城」築城で見せた蒲生氏郷の才能

六角承禎の重臣・蒲生賢秀の三男として日野の地で生まれた蒲生氏郷は、
1568年(永禄11年)、六角氏滅亡後に織田信長の人質となります。

この時、まだ鶴千代という幼名だった蒲生氏郷を見て、織田信長は、
「蒲生の子は普通の者ではない、私の婿として迎えよう」と考えたとか。
蒲生氏郷はこの後14歳で初陣を飾ると、織田信長の次女と婚姻。
数々の戦で武功を重ね、本能寺の変後は羽柴秀吉に従います。

ある時は自ら最前線に出て戦い部下たちを鼓舞、
ある時は城外に打って出てトレードマークである鯰尾兜に銃弾を浴びた、
などの勇猛果敢なエピソードがある蒲生氏郷ですが、
その最大の才能は「町づくり」にあったのではないかと思います。

織田信長の安土城築城にも携わり学んだ蒲生氏郷は、
縄張りや石垣など当時最先端の技術を用い、松阪城を築城。
築城の際、蒲生氏郷は町づくりにも力を入れ、
生まれ故郷である近江日野商人や、湊町に豪商角屋氏を呼び寄せたほか、
街道の整備や、楽市楽座などの政策も行い城下町をつくりあげました。

1590年に転封となるため、蒲生氏郷が松阪城にいたのはわずか2年ですが、
後に「伊勢商人」と呼ばれる三井家などの豪商が生まれるなど、
松阪の地は、蒲生氏郷の手で「商業のまち」として大きく発展することとなります。

豊臣秀吉が蒲生氏郷の才能を恐れ遠ざけた、というお話もありますが、
この町づくりをみれば、まさに「蒲生氏郷おそるべし」ですね。

 

「松阪城」の見学ルート②

・階段を登り本丸上段跡へ、「金の間櫓跡」から本丸跡上段全体を見渡しましょう

・本丸跡上段の北東側には、「排水溝」があるので要チェック
松阪城内の石垣には転用石がちらほらあり、ここにも使われております

・本丸跡上段の西にある「きたい丸跡」の石垣上を伝い南西→北西と進みます
石垣の高さを体感できますが、高所が苦手なのであまり楽しめず…

・きたい丸跡を北東へ進み、天守台横の「敵見櫓跡」を見ながらさらに先へ
右に曲がり、先ほど見学した本丸跡上段の「排水溝」を下からもチェック

・道なりに助左衛門御門跡まで戻り、左手からきたい丸跡の下側に進みます

・「きたい丸跡」の素晴らしい石垣を左手に見ながら東方向へ

・南側に出ると、美しい曲線を描く「隠居丸跡」の石垣があらわれます

・さらに先に進むとあるのが、東南側二ノ丸跡へ至る「裏門跡」

・「二ノ丸跡」石垣を左手に見ながら進み、表門跡まで戻ります

 


 

城の南側には「御城番屋敷」が並び、ここからみる松阪城の石垣も素晴らしかったです
付近には城下町の風情が残っているため、ゆっくりと散策してみるのがおススメ

今回の史跡「松阪城」

松阪公園(松坂城跡)
場所:三重県松阪市殿町

電車でのアクセス:「松阪駅」から西へ徒歩約20分
車等でのアクセス:「松阪市駐車場」から徒歩約5分

地域カテゴリ

新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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