信長・秀吉・家康と三英傑にゆかりのある「大徳寺」をご紹介
2024.07.30
2023.10.29
この連載は、2023年の大河ドラマ『どうする家康』で舞台となった地を
後追い、あるいは先読みしながらご紹介していくものである。
なお、タイトルにちなんで、記載は年齢問わず「家康」で統一する。
今回の史跡は、「伏見城の戦い」の舞台となった「伏見城」です。
1592年、豊臣秀吉が指月の地に屋敷を建てたのがはじまりと言われており、
慶長伏見地震を機に、伏見城は指月(しづき)から木幡山(こはたやま)へ移動。
1600年に起こった関ヶ原の戦いの前哨戦・「伏見城の戦い」では、
徳川家康の家臣・鳥居元忠が立てこもり、敵対した西軍を引き付ける役割を果たします。
徳川家康は上杉征伐で会津に出陣すれば、隙をついて石田三成が挙兵すると予想。
挙兵すれば攻められるのは伏見城、その留守を任されたのが鳥居元忠です。
徳川家康は伏見城に多くの兵を残せないことを詫びるも、鳥居元忠は
「将来天下を取る時、多くの家臣が必要となりましょう。大軍に囲まれるとなれば
城に火をかけ討死する他ないため、一人でも多くの家臣を連れていって下さい」
このように答え、徳川家康を感動させたというお話もあります。
関ヶ原の戦いの後、戦で焼失してしまった伏見城を徳川家康が再建。
1619年の廃城後、城内の建築物は様々な地に移築されることに。
1912年に本丸跡などが明治天皇稜(伏見桃山陵)となり、
1964年には、花畑跡に伏見桃山キャッスルランドが建設。
伏見桃山キャッスルランド閉園後は伏見桃山城運動公園として整備され、
市民運動により保存されることとなった天守が今も残っております。
・まずは、「御香宮(ごこうのみや)神社」の表門を見学
この表門は、伏見城大手門を移築したものだといわれております
・表門横に広がる、伏見城の「石垣」遺構
福島正則の屋敷跡でもあり、あの黒田節の逸話はここで生まれたものだとか
・境内には、徳川家康が造営した「本殿」、「伏見城残石」などもあります
・御香宮神社から南東へ進み、団地内にある「指月伏見城」の石垣へ移動
マンション建築の際に発見され、移築展示されているものです
・1kmほど東へ移動し、乃木希典を祀る「乃木神社」へ
かつて、このあたりは徳川家康の上屋敷跡だったといわれております
・さらに1kmくらい東へ向かい、線路南側にある「御舟入址」をチェック
徳川家康の孫娘・千姫が輿入れする際、このあたりから乗船し大坂へ向かったそうな
・御舟入址の北東にある桃山東小学校には、「石垣」が移築保存されております
ひとえに「伏見城」といえど、築城場所で「指月」と「木幡山」という2つに分類、
さらに細かく見てみると以下の5つのような分類をされております。
①豊臣秀吉、屋敷を築く
豊臣秀次に聚楽第を譲った後、1592年に豊臣秀吉が隠居所として屋敷を築く
②豊臣秀吉、指月に築城する
明の使者を迎えるために改修し、淀古城から天守などを移築する
1596年に完成するも、慶長伏見地震で倒壊してしまう
③豊臣秀吉、木幡山へ築城する
1597年、指月伏見城の北東に位置する木幡山に廃材を利用して築城
翌年、豊臣秀吉が木幡山伏見城で没する
④徳川家康、木幡山へ築城(再建)する
1600年の伏見城の戦いで焼失するも、1602年頃に徳川家康が再建
1603年に徳川家康が伏見城で征夷大将軍の宣下を受ける
⑤廃城、その後
朝鮮使節と会見し和議、徳川秀忠の将軍宣下が行われるも1619年に廃城が決まり、
1623年徳川家光の将軍宣下後、完全に廃城となる
後に城跡へ桃が植えられ「桃山」と呼ばれるようになり、通称「桃山城」に
5つの分類まで覚えているのは、おそらく戦国時代好きである猛者の方々のみ。
猛者を目指していない方は、ひとまず「慶長伏見地震の前後で場所が変わった」
という2つの分類だけ押さえておきましょう。
・伏見桃山城運動公園へ向かい、「大手門」から中へ入ってゆきましょう
・大手門をくぐると、伏見桃山キャッスルランド建設時に建てられた「天守」が目前に
・こちらは東側から見上げる天守の図
ちなみに、現在天守内は立ち入り禁止となっております
・北へ進み、かつて雄大な空堀だった姿が残る「北堀公園」へ
ウォーキングされている方もおり、運動スポットとして親しまれているようですね
・北堀公園を東端まで移動、坂を上って「弾正丸跡」の土塁もチェックしましょう
・もう少し北東に進めば、「黒田長政下屋敷跡」と推定されている地があります
石碑と案内板があるので、こちらもあわせて訪れるのが良いでしょう
・南へ移動し、伏見桃山稜の参道を東へ行くと「石垣の一部」が右手側にあります
・最後は、伏見桃山運動公園から北西へ1kmほど行った先にある「栄春寺」へ
栄春寺の「総門」は、伏見城の遺構だといわれているそうです
・栄春寺の本堂裏手にある墓地のあたりは、伏見城総構えの「土塁」の一部だとか
ついに行われた石田三成から徳川家康への決別宣言。
「正しいこと」にこだわり周りとうまくいかない石田三成の姿は、
どんな作品を見ても物悲しい気持ちになってしまいますね。
いよいよ関ヶ原の戦いが近くなり、次回予告では鳥居元忠の姿も。
伏見城の戦いが近いなら「直江状」や「小山評定」なども次回の範囲内。
エピソード満載である関ヶ原の戦い前、果たしてどこまで描かれるのでしょうか。
伏見城の北側にある、徳川家康ゆかりの「清凉院」
伏見桃山城
場所:京都府京都市伏見区桃山町大蔵45
新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
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