徳川家康の側室「お万の方」とゆかりのある「蓮永寺」
2024.04.01
2023.10.17
お田鶴の方。「NHK大河ドラマどうする家康」で、その名を知った方も多いかもしれません。
最後まで、強く凛々しくあろうとしたお田鶴の方の生き方は、現代に生きる私たちにとっては、あまりにも切ないものとして受け止められるものです。
けれど、戦国武将の妻としてお田鶴の方をみたとき、やはりお田鶴の方にもまた、この時代に生きる女性の信念を強く感じるものです。
お田鶴の方は、母が今川義元の妹であったため、今川義元は叔父にあたります。徳川家康の正室築山殿(以後は「瀬名」と表示)の母も、今川義元の叔母、または妹といわれているので、二人は幼少のことから親しくしていたそうです。そんな二人は、ともに今川家の家臣と婚姻関係を結びます。
お田鶴の方の夫は飯尾連龍。そして瀬名の夫は徳川家康。その後の運命もまた、結果的には、戦国の世に翻弄されてしまう姫の運命を感じるものとなりました。
「観音さま」として親しまれている「観音菩薩」は、仏教の菩薩のひとつです。
人々の苦しみの声を聴き、救いを下さるのが観音菩薩だそうです。
般若心経にある、「観自在菩薩(かんじざいぼさつ)」が観音菩薩様にあたるのだとか。
静岡県浜松市にある「椿姫観音」もまた、「観音様」として、地域の方々が、心の拠り所として足を運ぶ場所のひとつとなっているようです。
城を守るものとしての運命なのか、お田鶴の方の性格ゆえか、徳川家康と戦うことを選んだお田鶴の方。
命を落としてしまったお田鶴の方を哀れんだ徳川家康は、侍女とともに、お田鶴の方の塚を築きました。
そして、その場所に瀬名が100株あまりの椿を植えると、毎年美しく咲き誇ったそうです。その後も、この場所の美しい椿の花にちなみ、お田鶴の方は椿姫とも言われるようになったそうです。
「どうする家康」のストーリーの中で、お田鶴の方が「椿が好き」と言っていた場面が思い浮かびますね。
冬の中でも寂しくなく、美しく、寒さにも負けない椿の花。
瀬名が椿の花を選んで植えたのは、きっとそんな二人の会話があったに違いありません。(※その他諸説あります)
椿姫お田鶴の方も戦国を生きる武将の妻として、城を守ろうとする強さと愛を感じます。
お田鶴の方は、「開城すれば子どもを保護する」と言われたそうですが、お田鶴の方はそれを選ぶことはありませんでした。
その決断にきっと迷いもあったことでしょう。
どちらがよかったのかは、今となってはわかりません。そしてどちらがよいということもできません。
お田鶴の方に感じる強さは、自分のためにではなく「誰か」の、「何か」を守るためにある強さ。
お田鶴の方にもまた、戦国時代の姫たちのもつ愛を感じました。
静岡県 浜松市 中区元浜町133
【アクセス】
JR浜松駅から徒歩約15分
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rico
教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。
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