愛知の城を巡る 山中城
2024.04.20
2023.03.19
この連載は、2023年の大河ドラマ『どうする家康』で舞台となった地を
後追い、あるいは先読みしながらご紹介していくものである。
なお、タイトルにちなんで、記載は年齢問わず「家康」で統一する。
第十一回は、改姓・武田信玄との対面・引馬城攻めの三本立て。
冒頭で「徳川家康」誕生となりましたが、武田信玄に翻弄される姿は相変わらずでしたね。
武田信玄と徳川家康、瀬名とお田鶴の関係が団子を通じて描かれていたのが印象的でした。
今回ご紹介する史跡は、引間城と吉田城。
まずは、今回いくさの舞台となった引間城から見てゆきましょう。
引間城は「引馬城」「曳馬城」(読み方は「ひくま」)とも表記された城ですが、
後に「馬を引く=縁起が悪い」として徳川家康が地名を変更することとなります。
当時城主だった飯尾連龍は、今川氏真と徳川家康の間で揺れ動いた末、今川氏真により謀殺。
飯尾連龍亡きあと、妻・お田鶴が引間城を守っていたといわれております。
・引間城 現在、城跡は元城町東照宮となっております
・引間城 明治時代の創建で、1958年に再建された「拝殿」
・引間城 拝殿の横には「徳川家康公・豊臣秀吉公像」が
英傑二人がこの地から出世したため、間に入り写真を撮ると出世するとかしないとか
・引間城 元城町東照宮の南西方面には「浜松城」があります
こちらは北側の玄関だった玄黙口跡、残念ながら引間城の遺構はあまり残っておりません
徳川に改姓し三河平定を成し遂げた徳川家康は、この時期軍制の整備もおこなっております。
それが「三備(みつぞなえ)」というもので、徳川家臣団は
①徳川家康直属の「旗本先手役・馬廻衆」
②石川家成を旗頭とする「西三河衆」
③酒井忠次を旗頭とする「東三河衆」
という構成となりました。
そのうちのひとつ、東三河衆の旗頭・酒井忠次が城主となったのが吉田城です。
・吉田城 南側から本丸へ至る「南御多門跡」
・吉田城 本丸の南東方面にある「辰巳櫓跡」
・吉田城 本丸にある「本丸井戸跡」と、その付近から見た「辰巳櫓跡」まわりの石垣
・吉田城 1954年に再建された、天守のような「鉄櫓」
・吉田城 鉄櫓のすぐ側には「武具所跡」があり、さらに横には「北御多門跡」が
・吉田城 北御多門跡の階段を降りると、右側には「腰曲輪跡」の石垣があり
左側は石垣と鉄櫓を見上げる撮影スポットとなっております
・吉田城 鉄櫓と石垣も良いですが、「内堀跡」などの素晴らしい空堀と土塁も要チェック
・吉田城 駐車場には「徳川家康公腰掛松旧跡」という石碑もあります
次回は題名が「氏真」。駿府を武田信玄に落とされ、徳川家康も西から侵攻、
追い詰められてゆく今川氏真に注目する回となりそうです。
徳川家康と今川氏真が直接相対する場面もあり、「どうなる氏真」といったところでしょうか。
引馬城(元城町東照宮)
場所:静岡県浜松市中区元城町111−2
吉田城
場所:愛知県豊橋市今橋町3
新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
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