名古屋城石垣の刻印を見に行こう! Vol.16 本丸西壁 其の三
2025.11.17
2016.05.11

桶狭間の戦いで、鳴海城を包囲する付城であった善照寺砦。
奈良大学学長である千田嘉博先生が読売新聞で行った連載「信長の城」では、この善照寺砦が重要な役割を果たしていたそうです。
緑区の鳴海からほど近い場所に砦公園があります。

長い階段を上がっていきます。かなり高台に位置していることがわかります。

公園には3~4ほどの遊具がある小さな公園です。

善照寺砦の説明立て看板。ここが砦跡だったことや、背景がわかります。

ちなみに、当時の善照寺砦は鳴海城の付城。本来は鳴海城を攻める役割があるはずなのに、なぜかこの砦からは鳴海城は見えません。

家が建っているため見えないということもありますが、地形的にも見えません。

しかしこの滑り台の上に昇ってみてください。

よく見えるのは義元の本陣があったと言われる桶狭間山の尾根の一部(当時)。

ちなみに鳴海城跡も公園になっています。

竹やぶのためでもありますが、善照寺砦は見えません。

善照寺砦は高根山をすり抜け、直接桶狭間山の今川義元隊の一部を一点集中しにいったという説がよくわかる構図です。
こちらがその説の元となっている記事です。
今川義元どこにいた?/桶狭間 上 : 中部発 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
織田信長がいかに義元隊の一部を集中的に狙いに行っていたかが、地形でわかるのは善照寺砦のおもしろさです。
ぜひ地図を片手に、善照寺砦のすべり台の上に登って何が見えるかを確認してみてください。
住所:愛知県名古屋市 緑区鳴海町砦3
<アクセス>
名鉄名古屋本線鳴海駅 徒歩10分
善照寺砦は入っていないものの、丸根砦からのウォーキングコースがあります。

北村美桂
岐阜県出身。東海三県の歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営を行うWebライター。
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