武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2023年1月12日記事のため内容が古い可能性があります。

どこにいた家康 Vol.01 大高城と桶狭間古戦場

2023.01.12

この連載は、2023年の大河ドラマ『どうする家康』で舞台となった地を
後追い、あるいは先読みしながらご紹介していくものである。
なお、タイトルにちなんで、記載は年齢問わず「徳川家康」で統一する。

大高城

まずは、生誕の地である岡崎城から…といきたいところですが、
大河ドラマ内ではいきなり今川家の人質生活シーンから始まりました。
生誕時には龍が空にあらわれ、幼少の身で母と生き別れになり父は亡くなる。
このような話題満載のシーンを飛ばした演出に驚かされたのは私だけではないでしょう。

岡崎城はまだまだでてくるので後にまわし、
初回は物語が動き出した桶狭間関連史跡を見てゆきたいと思います。

1560年、今川義元が織田信長の治める尾張への侵攻を開始。
この時徳川家康(当時は元康、この先徳川家康で統一)が挑んだのは大高城への兵糧入れ。
対織田氏との最前線であったこの地で、困難だといわれた指令を見事成功させます。

・大高城 「北側入口」

・大高城 「本丸跡」

・大高城 「二の丸跡から三の丸跡へ」

・大高城 「屋敷跡」

・大高城 「空堀」

・大高城 「南西側入口」

桶狭間古戦場

大仕事をやり遂げ、あとは大高城で今川義元本隊が到着するのを待つだけ。
しかし、そんな徳川家康たちのもとに信じられない情報が舞い込んできます。
「今川義元、織田信長に討たれる!」

・今川義元が討たれた地といわれる「桶狭間古戦場伝説地」


・こちらも今川義元が討たれた地といわれる「桶狭間古戦場公園」


・兵糧入れ前に徳川家康が攻め落とした「丸根砦」

尊敬する今川義元が討たれたと聞き動揺する徳川家康に「どうする?」というより、
もっと強い口調で「どうする!?」と決断を迫る家臣たち。
徳川家康は今後もこのように決断を迫られるのか…という流れのわかるラストでした。
次回は徳川家康を「ウサギ」と呼んでいた織田信長との再会、はたして徳川家康はどうなるのでしょうか。

今回の史跡

大高城跡公園
場所:愛知県名古屋市緑区大高町城山

桶狭間古戦場伝説地
場所:愛知県豊明市栄町南舘11

桶狭間古戦場公園
場所:愛知県名古屋市緑区桶狭間北3丁目1001

丸根砦
場所:愛知県名古屋市緑区大高町丸根

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新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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