武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2021年9月25日記事のため内容が古い可能性があります。

足跡を巡る 徳川家康の巻:其の一

2021.09.25

「足跡を巡る」とは

戦国武将の生涯を、写真とともに辿っていくシリーズ。
物事が起こった年代、諸説ある動機や人間関係などについては
深く考えずにざっくりとふれていく連載である。

家康誕生

1543年、後に徳川家康となる竹千代は、岡崎城で産声をあげます。
父は松平広忠、母は於大。このとき、松平氏は今川氏の庇護を受ける立場でした。


3歳頃に、母・於大の兄である水野信元が今川氏の敵である織田氏と同盟。
広忠は於大を離縁し、竹千代は幼くして母と離れ離れになってしまいます。

岡崎城
所在地:愛知県岡崎市康生町561−1

波乱の人質生活

1547年になると、竹千代は今川氏への人質として駿府へ行くことに。
しかし、於大の後に広忠へ嫁いだ真喜姫の父・戸田康光が織田氏側に付き、
駿府ではなく織田氏のもとへ人質として送られることになりました。

1549年、今川家臣・太原雪斎が安祥城を攻め落とし織田信秀の子・信広を捕縛。
交渉の末、今川氏と織田氏の間で竹千代と信広の人質交換が成立します。


こちらは、安祥城をめぐる戦いの舞台のひとつとなった山崎城。


織田氏の人質だった間に父・広忠が死去。竹千代が戻ったことにより
松平氏は断絶を免れますが、竹千代は駿府で人質生活を続けることに。

安祥城跡(安祥城址公園)
所在地:愛知県安城市安城町城堀41

山崎城跡
所在地:愛知県安城市山崎町城跡39

元服と初陣

今度は、当初の予定どおり今川氏のもとへ行くこととなった竹千代。
一説にはこの時期、臨済寺で雪斎から英才教育を受けたと言われております。


1555年に元服し元信と名乗り、今川義元の姪にあたる瀬名姫と結婚。
後に元康とさらに名を改め、1558年には見事な初陣を飾ります。

臨済寺
所在地:静岡県静岡市葵区大岩町7−1

桶狭間の戦い

1560年、今川方として尾張に攻め込むことになった元康は、
坂部城で生みの母・於大と16年ぶりの再開を果たすことに。


この戦いで元康は大高城へ兵糧を入れ、丸根砦を攻め落とすなど大活躍。
しかし、「義元討たれる」という信じがたい情報が届き、やむなく撤退。


上が大高城、下が丸根砦。大高城と丸根砦の距離は、1キロもありません。

元康は直後に岡崎城へ入城、義元亡き今川氏からの独立を目論んだと言われております。
長い人質生活を終えた元康でしたが、ついにその苦境から抜け出しました。

坂部城跡
所在地:愛知県知多郡阿久比町卯坂栗之木谷

大高城跡
所在地:愛知県名古屋市緑区大高町城山

丸根砦跡
所在地:愛知県名古屋市緑区大高町丸根16

おまけ

其の一は、竹千代産湯の井戸がある松平東照宮。
岡崎城にも井戸がありますが、併せて使ったとかいないとか。


其の二は、人質交換が行われた地と言われている笠寺観音。
現在大規模な改修が行われている、歴史あるお寺です。(写真は2013年のもの)

其の三は、十五歳で竹千代の母となった於大の生誕地、緒川城。
於大は坂部城主・久松俊勝と再婚し、元康に手紙を贈り続けていたそうな。

松平東照宮
所在地:愛知県豊田市松平町赤原13

笠寺観音(笠覆寺)
所在地:愛知県名古屋市南区笠寺町上新町83

緒川城跡
所在地:愛知県知多郡東浦町緒川古城

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新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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