武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2016年7月26日記事のため内容が古い可能性があります。

徳川家康は2度生まれた!? 家康のいのちを救った、岡崎市の大樹寺へのアクセス

2016.07.26

「徳川家康は2度生まれた」というキャッチコピーの大樹寺。

徳川家康の馬印といえば、「厭離穢土、欣求浄土(お(え)んりえど、ごんぐじょうど)」の文字。
意味などご存じの方も多いと思いますが、ザックリ意味を。

浄土教の言葉で、Wikipediaによると、

この娑婆世界を「穢れた国土」(穢国)として、それを厭い離れるという意味であり、阿弥陀如来の極楽世界は清浄な国土であるから、そこへの往生を切望するという意味

なのだそうです。
家康が生涯一緒に生きた言葉をかけたのは、この大樹寺の住職。
松平家、徳川将軍家の菩提寺として、松平家から歴代将軍の位牌が置いてあることでも有名ですね。
そんな大樹寺についてご紹介いたします。

桶狭間の戦いと大樹寺

桶狭間の戦いで、徳川家康(松平元康)は今川軍として、敵の織田軍に囲まれた大高城に食料を運び入れる危険な場所を担当しました。
命からがら任務を果たした翌日、大将の今川義元が討ち取られてしまいます。

当然徳川家康も織田軍に追われ、少数の家臣と逃げ込んだのが菩提寺である大樹寺です。
もはやここまでと、先祖のお墓の前で自害しようとした家康に、住職が先ほどの「厭離穢土欣求浄土」の言葉をかけて考えを改めさせたことは有名です。

実はそれだけではなく、織田軍からの追手が大樹寺にも来ていましたが、大樹寺の屈強な僧侶たちが体を張って家康を守ってくれたそうです。
その僧侶は殉死してしまいましたが、そのおかげで家康は生かされたのですね。
一度は死のうとした上、その命を守ってもらった大樹寺は、家康にとって生涯忘れられない場所となりました。

大樹寺の中もしっかり見学すべし

大樹寺の本堂までは誰でも入れますが、資料館や位牌の見学は400円の拝観料が必要です。
こちらは写真撮影がNGなので、絶対に見学することをおすすめします。

庭には家康お手植えの椎の木もあります。

先ほどの体を張って家康のいのちを守った僧侶のことも展示されています。
また歴代将軍の位牌は、身長と同じ高さで作られているので本人を見ているような感覚です。

大樹寺 参道のビスタラインは要チェック

大樹寺の参道から岡崎城が見えるこのラインをビスタラインといい、マンションなどの高層ビルが建てられなようになっています。
まちぐるみでこの景観を守っているのですね。

室町時代に建てられた多宝塔も国の文化財になっているので要チェックです。

お墓には徳川家のスペースがとても大きく作られていて、本当に菩提寺であり、あの徳川家なのだと感慨深い気持ちになりました。
岡崎城ヘ来たらぜひ大樹寺にも寄ってみてください。

 

大樹寺の史跡を「山門」「鐘楼」から「土塀」まで写真で見る

 

大樹寺へのアクセス

住所:岡崎市鴨田町広元5-1
電話:0564-21-3917

<地下鉄>
名鉄名古屋本線東岡崎駅から名鉄バス大樹寺行に乗り終点下車、徒歩約10分

<入場料>
宝物(文化財)拝観
大人 400円
(障がい者 350円、小中学生 200円,幼児 無料)
団体割引(15名以上)一人 350円

<サイト>
http://home1.catvmics.ne.jp/~daijuji/

武将カテゴリ

地域カテゴリ

北村美桂

岐阜県出身。東海三県の歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営を行うWebライター。

この記事へのコメントや情報提供をお待ちしています

愛知県の記事

人気記事

PR

武将名や合戦場所などで検索

地域カテゴリ一覧

徳川家康の記事

この記事の後によく読まれているおすすめ記事

バックナンバー記事

次の10件を見る

戦国武将の生涯をたどる
  • 信長公の生涯をたどる

    天下布武その生涯をめぐる
    <勝幡〜清洲〜岐阜〜安土>

  • 秀吉公の生涯をたどる

    日本一出世 その生涯をめぐる
    <名古屋〜長浜〜大阪〜京都>

    豊臣秀吉年表へ
  • 家康公の生涯をたどる

    天下泰平までの道のりをめぐる
    <岡崎〜浜松〜江戸〜駿府>

    徳川家康年表へ
  • 加藤清正年表へ