名古屋城石垣の刻印を見に行こう! Vol.10 大天守 其の十(西壁編)
2025.07.13
名古屋城石垣の刻印を見に行こう!シリーズについて
一、なんらかのマークが付けられた石を「刻印」や「刻紋」、
もしくは人物の名が入っているものを「刻銘」と呼びますが、
この連載では主に「刻印」という呼び方で統一します。
一、名古屋城には膨大な数の刻印があり、
確認されているだけで2000以上もあるのだとか。
劣化により判別不明なものも多いため、本連載では
目視ではっきりわかるものを中心にご紹介してゆきます。
(名古屋城の刻印についての詳しい概要はこちらの記事もご覧ください)
一、タブレットにて刻印を白や赤の線でなぞった加工画像もありますが、
フリーハンドゆえのゆがみや想像で線を補ったものもあるため、
あくまでイメージとしてお楽しみください。
同シリーズ記事はこちら▼
「名古屋城石垣刻印シリーズ」一覧はこちらから
名古屋城石垣の刻印を見に行こう! Vol.10 大天守 其の十(西壁編)
今回が大天守台西壁編のラスト、
前回ご紹介したエリアの右側から隅石まで見てゆきましょう。
大天守台西壁右側の刻印分布はこんな感じ。
大天守西壁右側の刻印①②
上から順に、まずはこの二つから。
少し広範囲となる①には、7つの刻印がある石が。
左下に「結び雁金」、右下に南条の「木槌」がひとつずつ、
真ん中上から「輪違」、一段飛ばして「中輪にくつわ」、
その下に逆になった「団扇」と上が少し欠けた「団扇」があります。
「木槌」の二つ左隣にある刻印は、欠けが多く詳細はわかりません。
すぐ右隣の②にも6つの刻印があります。
左上と左下に「丸に六星」、真ん中左に小野の「軍配団扇」、
緑色の石に新美の「鳥居」、下に「丸に丁」、右にあるのが「釘抜き」。
「鳥居」は二つ刻まれた後に石が割られたようで、
よく見ると石の右側に不完全なもう一つの「鳥居」が残っております。
大天守西壁右側の刻印③④
続いて、右端の隅石上部近辺へ。
③には、右に山田いこまのものと思われる「雁金」と「丸に山形」、
左に「結び雁金」が刻まれた石があります。
刻印ではないですが、赤枠には「丸杭」がありますので
望遠レンズか双眼鏡があれば、こちらもチェックしてみてください。
④は、加藤清正の家臣・中川太良平の名が刻まれた隅石。
加の字が欠けておりますが、「(加)藤肥後守内 中川太良平」に加え
「丸に六星」が刻まれております。
肉眼でも比較的見つけやすい刻印ではありますが、
陽の当たり具合によりこんな感じでわかりにくくなることも…
大天守西壁右側の刻印⑤⑥
先ほど見た③④から少し下の範囲へ。
⑤には7つの刻印があり、真ん中上から新美の「鳥居」、
大きな小野の「軍配団扇」、その右下には「三の字」。
中央に「団扇」、その下に「生駒車」、不完全な南条の「鳥居」が縦並び。
右下あたりには、-と□を組み合わせたような刻印がありますが、
他の大名丁場に似たものがあるため、加藤家のものではないかもしれません。
⑤の少し右下にある⑥、こちらには左下に新美の「鳥居」、
中川の「丸に六星」が3つあります。
大天守西壁右側の刻印⑦⑧
少し目線を下げ、お次はこの辺りをチェック。
⑦には、左上に逆さとなった「久の字」、二つ下に新美の「鳥居」、
右隣に今回多く出てくる中側の「丸に六星」が。
他にも中央上に少し短めの「蕨」、
右下に「生駒車」と「十」のような刻印が入った石があります。
続いて、⑦の左隣にある⑧へ。
右上に和田のものと思われる「わた」と「中輪にくつわ」、
すぐ下には新美の「鳥居」が並んでおります。
大天守西壁右側の刻印⑨⑩⑪
さらに目線を下へ、のぞき込む形でこの範囲を見てゆきましょう。
まずは⑨、左上に「結び雁金」、右隣に新美の「鳥居」、
右下には「なりた」と「抜簾」の刻印石が。
「抜簾」の刻印はともかく、「なりた」の字はかなり薄く、
晴れの日でも雨の日でもわかりにくいかもしれません。
⑨の下、地面に接する⑩へ。
右には「丸に九」の刻印、比較的わかりやすいものといえるでしょう。
左には、すべて完全には見えない「違い角」「雁金」「丸に山形」の石も。
「違い角」「雁金」「丸に山形」の三点セットは「山田いこま」のものであり、
もしかすると表面が削られている箇所に「山田いこま」とあったのかもしれません。
⑩の右にある⑪には、下に中川の「丸に六星」があり、
上には「下川」の名と欠けた「井桁」が刻まれた石があります。
大天守西壁左側の刻印⑫⑬
西壁のラストは、右下側のこちら。
⑫にあるのは、上に「久の字」、下に「生駒車」が二つ刻まれた石。
「生駒車」の刻印が二つある石は珍しいのですが、
わかりづらい位置にあるため難易度は高めですね。
こちらも難易度高めの⑬。
撮影した画像を何度もチェックしていたら、
ある日突然刻印があるとわかった石たち。
左の石には「下川」の名と「弦巻」「井桁」が、
右の石には「小代」の名が刻まれております。
ちなみに6月末に撮影した際、「小代」はギリギリ見られましたが、
「下川」は草で全く見えませんでした。
石垣に草が生い茂り、刻印探しには厳しい季節となりましたが、
名古屋城では定期的な除草が行われているもよう。
前回行った際も本丸石垣の除草作業が行われていたため、
この機を逃さず近いうちにまた行ってきます。
2025年7月、除草作業中の様子
今回の史跡「名古屋城」
名古屋城
場所:愛知県名古屋市中区本丸1−1
電車でのアクセス:地下鉄名城線「名古屋城駅」下車後徒歩約5分
車等でのアクセス:名古屋高速都心環状線「丸の内IC」から北方向へ約5分
武将カテゴリ

新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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