武将愛 SAMURAI HEART

愛知の城を巡る 足助城

2024.03.17

戦国期の山城を「復元」、往時の雰囲気が楽しめる「足助城」

今回の史跡は、全国初の復元された山城である愛知県豊田市の「足助城」。
標高301メートルの真弓山にあることから、「真弓山城」とも呼ばれています。

平安時代末期に足助氏が築城したともいわれていますが詳細は不明。
戦国時代にこの地を治めていた足助鈴木氏が築城したのが始まりとされています。

三河と信州をむすぶ要衝に位置することから争奪戦が行われ、
「足助城」は松平氏、今川氏、武田氏、その後徳川氏のものに。
1590年(天正18年)に徳川家康が関東移封となると、
鈴木氏もこれに従い関東へ行くこととなり、「足助城」は廃城となります。

1990年(平成2年)、足助町制施行100年に当たることを機に
再建へ向け発掘調査会が発足、発掘調査が開始。
翌年から高櫓や長屋、物見台などが次々と建設され、
1993年(平成5年)に現在の「城跡公園足助城」が完成しました。

 

「足助城」の見学ルート①

・山上にある駐車場まで行き、ここから入城

・道なりに進むと、良い雰囲気の「南の丸」が目前にあらわれます

・南の丸の下まで進み、まずは左方向へ行ってみましょう

・南の丸下西側にある腰曲輪あたりを通過し、西の丸方面を目指します

・途中にある「井戸」をチェックし、さらに前進

・この岐路を左へ、頭上には「西の丸」の柵が見られます

・「足助城」の西端にあたる「西の丸腰曲輪」に到着
写真二枚目は、「西の丸腰曲輪」から西の丸を見上げる図

・来た道を少し戻り、お次は西の丸へ向かいましょう

・「西の丸」に到着、建築物は「西物見台」と本丸の高櫓

・この「西物見台」は、大きな岩盤の上に建っているとか

 

<三河の小京都西尾で復元が進む西尾城もチェック>

櫓や土塀は復元済み 徳川家康ゆかりの「西尾城」を辿る

 

 

戦国武将たちによる「足助城」争奪戦の歴史

冒頭でも少しふれましたが、要衝地にある「足助城」は
戦国時代に何度も争奪戦の舞台となりました。

1525年(大永5年)には徳川家康の祖父・松平清康がこの地に攻め寄せ、
足助鈴木氏二代・鈴木重政は松平清康に従うことを決めます。

しかし、1535年(天文4年)に松平清康が「守山崩れ」により急逝すると、
すぐさま鈴木氏は松平氏のもとから離脱。
足助鈴木氏三代・鈴木重直と婚姻していた松平清康妹の久子(於久)は
岡崎へ送り返されることとなり、後に竹千代の教育係となります。

松平氏から離脱した鈴木氏は、少し時を置き今川氏の麾下に。
その後、今川氏が1564年(永禄7年)に三河から撤退すると、
徳川家康(当時は松平家康)が攻めて「足助城」を手中に収めます。

さらに、今川領をめぐる「駿河侵攻」で徳川氏と武田氏の対立がおこると、
1571年(元亀2年)には武田信玄が大軍を率いて三河への侵攻を開始。
「足助城」を守っていた三代・鈴木重直は城を放棄し岡崎方面へ逃亡、
足助周辺は武田氏に属することになりますが、
1573年(元亀4年)に武田信玄が没した後、松平信康が奪取に成功。
武田氏に追い出された鈴木氏も、この時「足助城」に復帰したようです。

徳川家康のもとで高天神城攻めなどにも参加し活躍した鈴木氏は、
1590年(天正18年)の関東移封にも従い足助を離れることに。
しかし、五代・鈴木康重のときに突如として徳川家康のもとを出奔、
何かしら不服があった上の行動かと思われますが、詳細は分かっておりません。

 

<信州との要衝地 三河 その他の城の運命は?>

要衝地の運命に抗う 武田勝頼に囲まれた「長篠城」

 

 

「足助城」の見学ルート②

・西の丸から南東へ進み、お次は「南の丸」へ
2024年3月時点では、南物見櫓は修復中でした

・南の丸には、推定復元された「かまど」と建物があります

・こちらは、かまどの横に建っている「厨(くりや)」の内部
食事の準備をしたり、寝泊りしたりする建物を推定復元したものです

・奥にあるもう一つの「厨」、厨や長屋の土壁には芋の茎が使われており、
非常時には食料としていた、という点もふまえて復元したとか

・南の丸を堪能した後は一旦入口のあたりまで戻って本丸方面へ

・こちらは、本丸東側の「北腰曲輪」あたり
ここから本丸の高櫓と長屋、南物見台を一望できます

・いよいよ「本丸」へ突入、写真手前から長屋と高櫓

・最後は、「高櫓」内部の様子をご紹介
一枚目は入口付近、二枚目は一階に飾ってある手作り甲冑

・一階奥には復元された厠(かわや)もあります
「のぞき見可 使用不可」という注意書きが小気味好し

・こちらは二階の様子、こけら葺きの屋根や景色が楽しめます

 


あとがき

天守がある城や石垣の立派な城、空堀や土塁が素敵な城も良いですが、
戦国時代における山城の雰囲気を味わうなら「足助城」が最適と言えるでしょう。
今回はざんざんぶりの雨でしたが、これはこれで良い雰囲気を楽しめました。
次の機会には、付近にある「飯盛城」や香嵐渓と併せて巡りたいと思います。


 


再建三十周年記念の「御城印」

今回の史跡「足助城」

城跡公園足助城
場所:愛知県豊田市足助町須沢39−2

電車でのアクセス:名鉄「浄水駅」から、とよたおいでんバス乗車
「一の谷口」バス停下車後、徒歩約40分
車等でのアクセス:東海環状自動車道「豊田松平IC」から北東方向へ約25分

地域カテゴリ

新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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