足跡を巡る 豊臣秀吉の巻:其の六
2021.06.26
2021.01.16
資料や図面などに基づき、築城当時の姿を忠実に再現したもの。
内部は鉄筋コンクリート造などで、見た目のみ再現した外観復元天守、
内部も外部も再現した木造復元天守の2つに分類される。
別名:虎伏城、竹垣城など。和歌山県和歌山市にある梯郭式平山城。
羽柴秀長が藤堂高虎を普請奉行に任じ築城、浅野幸長・徳川頼宣らが改修。
1958年に天守、後に大手門や一之橋、御橋廊下などが再建されている。
往時には西の丸御殿があった西の丸。奥の方には庭園もあります。
御橋廊下と天守群をのぞむこのアングルは、鉄板の撮影スポット。
西の丸広場を西→南へ西外堀沿いに進むと、最初にあるのが追廻門。
現存建築物であるこの赤門は、西側入口の役割を果たしております。
石垣を左手に見ながら5分ほど歩くと、お次は南側入口の不明御門跡が。
ここは現在駐車場へ続く道となっており、見事な高石垣が車をお出迎え。
不明御門跡から東へ進み、南東側入口の岡口門方面へ。
左手には広大な南堀跡が続いており、岡口門の先には東堀があります。
そして、こちらが現存建築物であり重要文化財である岡口門。
浅野氏の時代後期までは、大手門として使われていたそうな。
岡口門から東堀の外側を歩き、今度は北東側入口の大手門へ。
こちらは、大手門とともに復元された一之橋から見た北堀と石垣。
大手門から内郭へ進入、その先に待ち受けるのが一中門跡の石垣。
そして、一中門跡を抜けたあたりにあるのがこの伏虎像。
城のある山が、伏せた虎に似ていることにちなんで作られたとのこと。
伏虎像がある岐路を右へ行くと二の丸跡、直進すると岡口門方面へ。
今回は直進し、東側の表坂から本丸方面を攻めるルートで行きましょう。
いざ本丸へ…進む前に、さらに直進し岡中門跡の高石垣も要チェック。
ド迫力の高石垣沿いに歩いていけば、南の丸跡に行けます。
高石垣を堪能した後、少し戻り表坂から西へ伸びる松の丸跡へ。
道すがら下に見えるのは南の丸跡。現在も動物園として活躍中です。
一枚目は天守曲輪下段に至る坂から、二枚目は入口である楠門付近から。
北側にまわれば、乾櫓と乾櫓から小天守まで伸びる多聞櫓が見られます。
天守から下ってゆき、藩主の娯楽の場だったと言われる西の丸庭園へ。
こちらは、西の丸と二の丸を行き来するために使われていた御橋廊下の内部。
締めはライトアップ。やはり御橋廊下と天守群の構図が一番美しいですね。
夕方と翌日早朝に訪れたため、天守には入れず。次は内部も見たいです。
次回は、2004年に天守が木造復元された愛媛県のあのお城へ。
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電車で行く:JR・南海電気鉄道「和歌山市駅」より南へ徒歩約20分。
車 で行く:阪和自動車道「和歌山IC」より西方面へ約20分。
地域カテゴリ
新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
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