続100名城を巡る 「赤木城」
2024.08.12
2021.04.25
〜過去の取材記事の投稿となります〜
西本願寺は数あるお寺の中でも、何度も移動を繰り返した珍しいお寺のひとつです。
西本願寺は、どのような場所に移動を繰り返したのでしょうか。
何度も移動を繰り返した本願寺。転々と移動させた張本人は秀吉でした。
その最初の移動は、石山戦争が終結した翌年1583年です。
1582年に石山戦争がようやく終結し、信長によって石山本願寺は和歌山県鷺森御坊に移されました。
さて、1582年といえばピンとくるのが本能寺の変です。
家臣明智光秀が主君織田信長を焼き討ちにした事件ですね。
その時、備中で毛利氏と戦っていた秀吉は、本能寺での変を知ると、すぐに毛利軍と和睦し、明智光秀を倒しに京都に向かいます。
そして秀吉は山崎で明智光秀との戦い勝利し、清須会議で信長の後継者としての地位を固めました。
その後天下統一の象徴として、秀吉は石山本願寺跡に大阪城を築き上げました。
秀吉が大阪城を築いた石山本願寺跡地は、繁栄していた堺の河口にある上町台地(うえまちだいち)。
京都にある朝廷の様子もわかり、軍事的、政治にも好都合の場所。
秀吉は、どうしてもこの場所に大阪城を築きたかったのです。
そして鷺森御坊に移されていた本願寺は、秀吉の寺地寄進により大阪貝塚御坊として移動します。
さらに移動後わずか2年で同じく大阪の天満へと移動し、天満本願寺となりました。
しかしまた5年後には、京都七条堀川に移動し、京都本願寺となったのです。
阿弥陀堂の埋め木
西本願寺の移動には、政治的な策略があったわけですが、たくさんの国宝があり、移動中にどこかにいってしまうというようなこともなく、丁寧に保存されています。よかったですよね。
さて本堂である阿弥陀堂ですが、2022年3月まで改修工事予定なので、見学ができる箇所をご紹介しますね。
びっくりするくらい何もありませんね。
有名な床の埋め木はよく観察できます。
修復の際、大工さんがこのように工夫したそうです。
ひょうたんや魚、富士山、野菜などいろいろな埋め木があります。
改修工事中は、西本願寺らしさがつかみにくいかもしれませんが、
親鸞聖人の御真影が安置されている御影堂に入る前の門の彫刻や、
御成門などの、普段見逃しがちな外側の部分をしっかりと見学するのもよいなあ・・と思いました。
京都市下京区堀川通花屋町下ル
京都駅 徒歩15分
市営バス
9・28・75番『西本願寺前』下車すぐ
拝観料: 無料
開催時間:5:30~17:00
rico
教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。
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