武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2021年4月25日記事のため内容が古い可能性があります。

「移動を繰り返した西本願寺」|改修工事中の阿弥陀堂で何を観る?

2021.04.25

〜過去の取材記事の投稿となります〜

 

西本願寺は数あるお寺の中でも、何度も移動を繰り返した珍しいお寺のひとつです。

西本願寺は、どのような場所に移動を繰り返したのでしょうか。

 

 

大阪城は石山本願寺の跡地

何度も移動を繰り返した本願寺。転々と移動させた張本人は秀吉でした。

その最初の移動は、石山戦争が終結した翌年1583年です。

1582年に石山戦争がようやく終結し、信長によって石山本願寺は和歌山県鷺森御坊に移されました。

さて、1582年といえばピンとくるのが本能寺の変です。

家臣明智光秀が主君織田信長を焼き討ちにした事件ですね。

 

その時、備中で毛利氏と戦っていた秀吉は、本能寺での変を知ると、すぐに毛利軍と和睦し、明智光秀を倒しに京都に向かいます。

そして秀吉は山崎で明智光秀との戦い勝利し、清須会議で信長の後継者としての地位を固めました。

 

その後天下統一の象徴として、秀吉は石山本願寺跡に大阪城を築き上げました。

秀吉が大阪城を築いた石山本願寺跡地は、繁栄していた堺の河口にある上町台地(うえまちだいち)。

京都にある朝廷の様子もわかり、軍事的、政治にも好都合の場所。

秀吉は、どうしてもこの場所に大阪城を築きたかったのです。

 

移動を繰り返した本願寺

そして鷺森御坊に移されていた本願寺は、秀吉の寺地寄進により大阪貝塚御坊として移動します。

さらに移動後わずか2年で同じく大阪の天満へと移動し、天満本願寺となりました。

しかしまた5年後には、京都七条堀川に移動し、京都本願寺となったのです。

 

この京都本願寺が現在の西本願寺に当たるものとなります。

 

 

阿弥陀堂の埋め木

西本願寺の移動には、政治的な策略があったわけですが、たくさんの国宝があり、移動中にどこかにいってしまうというようなこともなく、丁寧に保存されています。よかったですよね。

 

さて本堂である阿弥陀堂ですが、2022年3月まで改修工事予定なので、見学ができる箇所をご紹介しますね。

びっくりするくらい何もありませんね。

有名な床の埋め木はよく観察できます。

修復の際、大工さんがこのように工夫したそうです。

 

ひょうたんや魚、富士山、野菜などいろいろな埋め木があります。

 

西本願寺 他の見どころ

改修工事中は、西本願寺らしさがつかみにくいかもしれませんが、

親鸞聖人の御真影が安置されている御影堂に入る前の門の彫刻や、

 

 

 

御成門などの、普段見逃しがちな外側の部分をしっかりと見学するのもよいなあ・・と思いました。

 

【西本願寺アクセス】

京都市下京区堀川通花屋町下ル

京都駅 徒歩15分

市営バス

9・28・75番『西本願寺前』下車すぐ

 

拝観料: 無料

開催時間:5:30~17:00

 

地域カテゴリ

rico

教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。

この記事へのコメントや情報提供をお待ちしています

ログイン してコメントを投稿して下さい。
ユーザー登録がお済みでない方は 登録画面 にて登録後、コメントを投稿して下さい。

近畿地方の記事

人気記事

PR

武将名や合戦場所などで検索

地域カテゴリ一覧

バックナンバー記事

次の10件を見る

戦国武将の生涯をたどる
  • 信長公の生涯をたどる

    天下布武その生涯をめぐる
    <勝幡〜清洲〜岐阜〜安土>

  • 秀吉公の生涯をたどる

    日本一出世 その生涯をめぐる
    <名古屋〜長浜〜大阪〜京都>

    豊臣秀吉年表へ
  • 家康公の生涯をたどる

    天下泰平までの道のりをめぐる
    <岡崎〜浜松〜江戸〜駿府>

    徳川家康年表へ
  • 加藤清正年表へ