続100名城を巡る 「赤木城」
2024.08.12
2022.04.25
〜過去の取材記事の投稿となります〜
京都で秀吉を知る名所といえば、真っ先に思い出すのは『豊国神社』ですよね。
秀吉の石像がとても印象的です。
こちらは「しんひよしじんぐう」ではなく「いまひえじんぐう」と読む、読み方も難しい、そしてみつけるのも少し難しい名所です。
けれど一般的な『豊国神社』に行ったならぜひ『新日吉神宮』にもお立ち寄りください。
なぜなら、こちらこそ真の『豊国神社』といえるかもしれないからです。
1160年(永暦元年)後白河上皇の命により、院の御所の鎮守社として、現在より南に創建されました。
その後、いろいろな場所に移転して、現在の場所となったのは豊国神社が再興されたときと一緒です。
豊臣秀吉にまつわる京都の神社仏閣は、移動が多いように感じますが気のせいでしょうか。
この新日吉神宮が現在の神社名になったのは1959年。とても最近のことですね。
それまでは、新日吉社としてお祀りされていました。
この新日吉神宮の中には、ひっそりと『このもと社』という社がお祀りされています。
このもと社とは?
しかし、なぜこんなにひっそりとした神社なのでしょうか。
それには、このような理由があるそうです。
『このもと』は漢字で書くとどのように書くかわかりますか?
こんな風に書きます。
『樹下大神』
読めないですよね。
けれどよくよくみると『樹下』は『きのした』。『きのした』?つまり『木下藤吉郎』の姓に通じさせてこのように漢字を当て、秀吉を江戸時代より祀り続けているのが、この『このもと社』なのです。
江戸時代に秀吉を祀っていたのであれば、華美で目立つようなことはできないはず。
隠れるようにひっそりと佇むのには訳があったのですね。
江戸幕府に隠れてでも、豊臣秀吉をお祀りする。
そして訪れる民がいたということに、豊臣秀吉の人柄が偲ばれますね。
ちなみに、
狛犬ならぬ狛猿?
こちらでは、狛犬のように猿が社を守っているのです。
猿といえば秀吉。なかなかユーモアがありますね。
かわいらしい猿ですが、この猿は御猿で、大神の御使者なのだそうです。信者の災いを去る(猿)という不思議な力があるそうです。
まとめ
豊臣秀吉の遺体は死去の翌年に、自身の望み通り方広寺の阿弥陀ヶ峰山頂に埋葬されて廟所が建立され、当初、秀吉の廟所は大仏の鎮守社といわれ、その後新八幡社と呼ばれるようになりました。
豊臣秀吉は『新八幡様』となりたかったのですがそうなれず、『豊国乃大明神』と呼ばれることとなり社は『豊国神社』となりました。
そして豊臣家が滅亡すると同時に、家康の意向により神社は廃絶されてしまいました。
このような表の事実の裏には、秀吉を想う多くの民がいたことを、この新日吉神宮でお参りして思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
京都府京都市東山区妙法院前側町451-1
京都駅より市バス 東山七条下車 徒歩5分
拝観時間 特になし
拝観料 無料
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rico
教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。
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