武将愛 SAMURAI HEART

ちょっぴり怖い 徳川慶喜の墓所がある 谷中霊園のおはなし

2016.08.03

たどりついたのは・・。

寛永寺本坊から、谷中霊園に着いた私。

ここは、第十五代将軍徳川慶喜の墓所がある場所です。

谷中霊園といえば、たくさんの著名人のお墓もあり、

桜の木も美しいといわれている場所です。

そうはいっても、霊園に足を運ぶのはあまり気が進みません。

想像力豊かなので、妄想しているのか、または何かの気配を感じているのか、

そのあたりは深入りしないようにしているのですが、やはりなんとなく足が進みません。

しかも広い!

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霊園なのに番地までついています。

谷中霊園ってとても不思議な場所です。

お墓なのに、ひとつの町のようです。

 

霊園なので、あまり撮影は・・と思い、写真が少なめでごめんなさい。

けれど、ありました!

葵の御紋がついたお墓が。

(ここね。失礼しますが撮影させてください。)と心の中でつぶやく私。

撮影後、近くでよく見ると何かが違う感じ。

さらにじっくり見ると、徳川家のお墓であありましたが

徳川慶喜のお墓ではありませんでした・・・・・。

(ごめんなさい。)

 

なかなか見つからないお墓

はやく、徳川慶喜のお墓をみつけて、早くお参りして、早く帰りたい!

そんな気持ちの私は、なかなかお墓をみつけることができません。

「もう、帰りたい。」

と思ったときに、

「徳川慶喜のお墓」という案内板が。

10分も探していませんが、やっと見つけたという感じです。

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お墓はやはり他の方々より大きめです。

広めの場所にゆったりとあるという感じでした。

そして、何よりこの空間は、ほかの場所よりも明るい空気感があります。

「こちらにお参りさせていただきありがとうございます。撮影してごめんなさい。」

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と挨拶をして、すぐに霊園を後に。

徳川慶喜は、晩年は一般庶民としてお暮らしだったことを、このお墓を観て実感しました。

 

物思いしながら帰途へ

お墓を背に、谷中霊園の出口に向かう道で思ったことは、

大政奉還をし、政権を朝廷に返上したことで徳川慶喜は、

やっとそれまでのすべての重荷を下ろしたのだろうなあ・・・ということです。

何かにしがみつき、それを守ろうとしているときは、大切で離せないもののように感じるけれど、

離したとたん、何でそんなに必死だったのだろうと思ったりするものですよね。

1

 

徳川慶喜にとっては、徳川将軍家にとっては、必死に守らねばならないことだったとは思います。

けれど離したことによって、自由になり、その後の人生は、それなりに幸せだったかもしれないと思うのです。

 

気がついてみると、寛永寺本坊では降っていた雨は止んでおり、谷中霊園内では一度も傘を開かずにいました。

少し怖かったけれど、来ることができてよかった。

徳川慶喜さん、ありがとうございました。

 

【寛永寺・谷中霊園周辺へのアクセス】

JR上野駅・鶯谷駅周辺

 

出典:東叡山 寛永寺 ホームページご案内地図

上記地図をご参照ください。

地域カテゴリ

noriko

はじめまして。徳川秀忠とお江夫妻のファンnorikoです。 ライティングの仕事をさせていただいています。 読んでくださった方が、当時に想いを馳せることができるような、そんなコラムを書いていきたいと思っています。

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