100名城を巡る「金山城」
2024.09.28
2022.08.28
・城はあったが天守はなかった地に建てられた
・城に天守台はあったが天守はなかった地に建てられた
・城に天守はあったが、往時とは異なる場所に再建された
以上のいずれかに該当する天守を指す。
千葉県夷隅郡大多喜町にある、本多忠勝が築いた城。
1975年に天守が再建されたが、天守が存在したかについては諸説ある。
大多喜城といえば、まずは三口橋(さんくちばし)から見るこの構図。
時刻表をチェックし、いすみ鉄道が鉄橋を通る時間に合わせて行きました。
三口橋から東へ500mほど移動し、同じく夷隅川にかかる行徳橋へ。
こちらには、小ぶりですが威厳のある本多忠勝像がおわします。
大多喜城の駐車場まで移動し、天守方面へ移動しましょう。
城の西側にあたるこちら側には、空堀やら二の丸公園やらがあります。
大多喜城の駐車場から5分ほど歩いて本丸へ。こちらの天守は、1975年に建築。
天守があったとみれば復興天守、無かったとみれば模擬天守…
今回は大多喜城を模擬天守の巻でご紹介していますが、果たして真相やいかに。
大多喜城本丸の東側、現在大多喜高等学校のある二の丸跡には大井戸が。
高校の敷地内には、唯一の遺構である二の丸御殿薬医門もあります。
千葉県千葉市にある、千葉氏が築城した城。通称:千葉城。
1967年に完成した模擬天守は、現在「千葉市立郷土博物館」となっている。
東側の駐車場から見た天守と、やや南側に移動して見た天守。
小田原城をモデルとして建てられたそうです。
南西側からも一枚。夏に行った際は、ひまわりが咲いておりました。
天守の西側には、馬上で弓を引く勇ましい千葉常胤の像も。
源頼朝の覇業を支え、頼朝が父のように慕ったという人物です。
こちらは、亥鼻城唯一の遺構といわれる天守北西あたりの土塁。
鬼門の方角には神明社があり、郭間の舗装された道は空堀の跡だとか。
今回は、今年の夏訪れた千葉県の大多喜城と亥鼻城をお送りしました。
大多喜城は休館中、亥鼻城は時間切れで入れなかったのが残念です。
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電車で行く:いすみ鉄道「大多喜駅」より、西方向へ徒歩約15分。
車 で行く:首都圏中央連絡自動車道「市原鶴舞IC」より、南方面へ約20分。
電車で行く:千葉都市モノレール「県庁前駅」より、東方向へ徒歩約10分。
車 で行く:京葉道路「穴川IC」より、南方面へ約10分。
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新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
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