100名城を巡る 甲府城
2024.10.29
2016.08.25
岐阜県可児市兼山町にある美濃【金山城址】は、1537年(天文6年)尾張侵略のため斎藤道三の命により、斎藤正義により築城された城で、鳥峰城・鳥ヶ峰城・兼山城と呼ばれた山城です。
1565年(永禄8年)東濃攻略の際、織田信長は重心であった森可成(森蘭丸の父)に、廃城になっていた鳥峰城を与えました。
この時、鳥峰城から金山城と名前が改められました。
美濃金山城出丸は第一の防衛線としての役目があり、見通しの良い場所という事で、敵の動きを監視できる場所としても十分な役割をしていました。
美濃金山城遊歩道登り口は、階段になっています。
横には竹の杖が常備されていますので、雨の日やその次の日は滑りやすく、足元が心配な方は竹の杖をお使いいただくと良いでしょう。
階段を上がると最初にある、三の丸門址です。
三の丸門は、当時見張り櫓がありましたが、崩れてしまい石垣などの欠片などがそのまま残っています。
水の手は金山城の大事な飲料水が湧き出る清水です。
水の手門を通り、城内の人々は湧き出る清水を毎日汲みに行っていました。
現在は危険ですので清水までは行けません。
二の丸門の横には見張り櫓があり、その横には侍屋敷がありました。
美濃金山城の二の丸門は現在、愛知県犬山市にある瑞泉寺に移築されています。
大手枡形は、大手門などに囲まれた建物でした。
城を訪ねてきた武士は、大手枡形で休息をとり、衣服を整え本丸に向かいました。
大手枡形の大手門は、一の門と呼ばれ、こちらも瑞泉寺に移築されたと言われています。
本丸には天守・小天守・袖櫓・本丸御殿・隅櫓があったと言われています。
現在は天守のあった場所に、鳥竜神社が建っています。
美濃金山城は武田征伐の途中の織田信長が金山城に一泊し、本丸から見える景色を色々な思いを巡らせながら見ていたのかもしれません。
この美濃金山城は森可成が城主になってから、森家三代が金山城の城主を務め、慶長6年、金山城最後の城主、森可成の六男森忠政が信濃海津城に移封したのち、金山城は廃城になりました。
美濃金山城は山城で、遊歩道から登っていきます。
遊歩道までは、蘭丸ふるさとの森から遊歩道を上がるか、車で上まで行けますので、遊歩道看板を超えて出丸横の駐車場に車を停めると良いでしょう。
駐車場から美濃金山城の遊歩道登り口までは、徒歩2分程で行けます。
交通機関アクセス:名鉄広見線明智駅からYAOバスに乗り城戸坂バス停で降り、徒歩で蘭丸ふるさとの森(徒歩約3分程)まで行き、遊歩道から本丸を目指してください。
車アクセス:東海環状自動車道(可児御嵩IC)から車で15分
住所:岐阜県可児市兼山字古城山
駐車場:第一駐車場 蘭丸ふるさとの森の下
第二駐車場 蘭丸ふるさとの森
出丸址 横駐車場
KEN
はじめまして。岐阜県出身・在住の歴史をこよなく愛している料理系男子KENです。 ライター歴はまだまだひよっこですが、記事を読んでくださる皆様に、 当時の武将たちの見た風景、感じた思いを伝えられる記事作りに励んでいます。
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