続100名城を巡る「久留米城」
2024.10.14
2021.09.12
かつては天守が存在した城に再建するもののうち、
資料が乏しいため他の天守を参考に再建したり、
資料はあるものの異なる外観で再建された天守を指す。
別名:森岳城、高来城。長崎県島原市にある連郭式平城。
1618年から7年かけて松倉重政が築城、1964年に天守が再建。
築城当時の正確な姿ではない再建のため、復興天守に分類される。
天守すぐ横に駐車場があるため、今回は天守からスタート。
破風のない層塔型のスタイリッシュなお姿ですね。
天守の東側には、島原の乱の主役となった天草四郎の像が。
豊臣秀頼のご落胤など、様々な伝説を囁かれた人物です。
お隣には、岐阜城にあるものと同じ型の織田信長騎馬像も。
像の奥に見えていたのが、本丸南東側にある巽櫓。
現在は像の作者である、北村西望氏の記念館となっております。
こちらは、三の丸から移築された御馬見所。幕末の建築物です。
この中から、時の藩主・松平忠和が藩士たちの訓練を見ていたそうな。
本丸にあるこの巨石は、景華園遺跡の支石墓掌石といわれるもの。
展示資料として移されたもので、その重さはなんと18.4トン!
少し北に進むと右手にあるのが、民具資料館となっている丑寅櫓。
このあたりからは、島原文化会館のある二の丸方面が一望できます。
少し西へ移動し、古野梅苑へ。松倉重政祭祀の祠とここから見た天守。
こちらは、本丸の西南方向に位置する西の櫓。
天守にさきがけて、1960年に外観復元されました。
日没も近づいてきたので、石垣を撮影すべく急いで外へ。
一枚目が南側、二枚目が北側の二の丸方面を撮った写真です。
この入口は後世のもので、往時は二の丸からしか入れなかったとか。
水堀の方へ下ることができ、そこから見上げる石垣は素晴らしいの一言。
水堀から戻って入口を通過し、北方向へ。こちら側から見る石垣もお見事。
もう少し進むと、本丸と二の丸間の様子が。天守もちらっと見られます。
最後は、城郭の南東側にあった大手門跡へ。
天守・櫓と屈曲した石垣が一同に見られるのも、こちら側でございます。
日没時間切れで全部見学できなかったため、再訪したい城の一つです。
次回は大阪府、だんじり祭りで有名な地域にあるあのお城へ。
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電車で行く:島原鉄道「島原駅」より西へ徒歩約10分。
車 で行く:雲仙グリーンロード「島原IC」より、東方面へ約5分。
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新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
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