武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2022年8月10日記事のため内容が古い可能性があります。

姫たちの武将愛vol.11~頼宣と頼房の母は「お万の方」

2022.08.10

70

 

徳川家康の側室。

20人近くが上がる場合もあるほど、たくさんいらっしゃるといわれていますよね。

戦国の世は、それだけ跡継ぎ、世継ぎが大切な時代だったということでしょう。

 

徳川家康の側室になるまでの「お万」

徳川家10男、徳川頼宣。そして11男、徳川頼房。二人の母はお万の方です。

お万の方の生まれについては諸説あるようですが、徳川家康の側室となった時期の背景は確かなようです。

1593年、駿河国大平村の郷士であった星谷縫殿右衛門に養育されていた頃のことだそうです。

その後1602年、伏見において頼宣を、1603年には頼房をと相次いで2男を出産しました。

 

「お万の方」と日蓮宗

お万の方墓所

お万は父親の影響を受けて日蓮宗を信仰し、日遠を拠り所として帰依していました。

けれど徳川家康が信仰していたのは浄土宗。そのため徳川家康は、日遠をあまり好ましく思っていなかったようです。

そんな徳川家康の日蓮宗に対するやり方に対して、お万の方は、

「師の日遠が死ぬ時は自分も死ぬ」

と言って、日遠と自分の分の2枚の「死に衣」を縫って対抗したそうです。

このことには徳川家康も驚いて、捉えていた日遠を放免したとか。

お万の方の信仰心の深さに驚きです。それだけ信じるものが必要だったのでしょうね。そう思うと何だか辛いです。

その後、お万は、徳川家康が死去したのち1619年に、身延山で法華経一万部読誦の大法要を催したそうです。

徳川家康の側室「お万の方」の廟所

お万の方墓

日遠とはどのような人物?

1630年に、江戸城で受布施派と不受不施派との対論がありました。

受布施派と不受不施派の対論とは、一言でいうなら、お布施等の考え方の違いによる日蓮宗内の対立。

そこで日遠は、不受不施派を破り池上本門寺に入山しましたがしましたが、その後俗世間をのがれて鎌倉で静かにくらすことにしました。

その日遠の墓所は大野本遠寺にあります。

お万の方身延山

「お万の方」の墓所

お万の方は日遠に帰依し、日蓮宗を厚く信仰し、新しい寺の建立にも力を入れました。

大野本遠寺創建時の大伽藍も寄進し、その他、身延山久遠寺、池上本門寺、和歌山感応寺などにも堂塔伽藍を寄進しています。

お万の方は、江戸時代の日蓮宗が発展するための礎をつくったといわれるのは、このような熱心な活動によるものといえそうです。

 

まとめ

1653年、お万の方は、江戸紀州邸で亡くなられました。

その遺言には、遺骨は大野山本遠寺に葬るようにとあり、墓所は日遠の墓の傍らに建立されたということです。

お万の方墓所

信じるものをひたすらに信じる。その信念に強さを感じますね。

それがたとえ、夫である徳川家康に対抗することとなってもです。

自分を守るものは、人それぞれです。

 

 

今回の史跡「身延山久遠寺」

山梨県南巨摩郡身延町身延3567

 

東京方面より

新宿-(JR中央本線特急/約1時間40分)-甲府-(JR身延線特急/約1時間)-身延駅

東京-(JR東海道新幹線/約1時間5分)-新富士-(バス・タクシー/約10分)-富士-(JR身延線特急/約1時間)-身延駅

東京-(JR東海道新幹線/ひかり:約1時間・こだま:約1時間20分)-静岡-(JR身延線直通特急/約1時間20分)-身延駅

 

大阪方面より

新大阪-(JR東海道新幹線/約2時間30分)-静岡-(JR身延線直通特急/約1時間20分)-身延駅

新大阪-(JR東海道新幹線/ひかり:約1時間50分・こだま:約2時間30分)-静岡-(JR身延線直通特急/約1時間20分)-身延駅

 

拝観料:無料

武将カテゴリ

rico

教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。

この記事へのコメントや情報提供をお待ちしています

ログイン してコメントを投稿して下さい。
ユーザー登録がお済みでない方は 登録画面 にて登録後、コメントを投稿して下さい。

人気記事

PR

武将名や合戦場所などで検索

地域カテゴリ一覧

徳川家康の記事

バックナンバー記事

次の10件を見る

戦国武将の生涯をたどる
  • 信長公の生涯をたどる

    天下布武その生涯をめぐる
    <勝幡〜清洲〜岐阜〜安土>

  • 秀吉公の生涯をたどる

    日本一出世 その生涯をめぐる
    <名古屋〜長浜〜大阪〜京都>

    豊臣秀吉年表へ
  • 家康公の生涯をたどる

    天下泰平までの道のりをめぐる
    <岡崎〜浜松〜江戸〜駿府>

    徳川家康年表へ
  • 加藤清正年表へ