100名城を巡る 鹿児島城
2024.01.28
2016.03.08
築城の名人・加藤清正の最高傑作である。
徳川家康が豊臣家を蔑ろにした場合、豊臣秀頼を大阪から迎え入れ
一戦交えることも清正が想定したとあって、まさに堅城といえる。
西南の役においては、谷干城率いる熊本鎮台軍が、4倍近い兵力差をものともせず
近代兵器で襲い掛かる西郷隆盛軍を撤退させたという。
行幸橋の手前に御座す清正公。
見比べたら、名古屋城三の丸跡のお姿とは異なり、こちらは前立がありません。
清正公の背後から東方向を見ると、この馬具櫓から東の平御櫓まで242m続く長塀。
城内にある13の国指定重要文化財の一つです。
行幸橋を渡ると、正面右に見えてくるのが飯田丸五階櫓。
城南側防衛の要であり、飯田覚兵衛が管理していたことから「飯田丸」と名付けられたそうです。
四つある入口の一つ、櫨方門。桝形を抜けると正面に現れます。
元々北大手門の隣、現加藤神社の場所にあった門で、昭和32年に現在地へ移築されました。
左上石垣に要人櫓跡、その斜め後ろ石垣上に飯田丸隅櫓跡、その左に飯田丸五階櫓。
右上手前側に茶櫓跡、真ん中少し右の石垣上には五階櫓跡、しかも桝形。絶望的です…
手前(右側)が加藤清正の時代に積まれ、奥側(左側)が細川時代に積まれたという石垣。
積み方や、用いる石の大きさが不揃いか整っているかで時代の違いが一目瞭然です。
これが見たかった!しかし、見惚れすぎて天守に入る時間が無くなりました…
左が小天守、右が大天守。西側の平左衛門丸から。
石垣の美しさはもちろん、大天守と石垣との境目にある「忍び返し」も見どころです。
清正公をご神体として祀る加藤神社の入り口付近から。
高石垣の上にそびえ立つ宇土櫓は、天守並みの荘厳さを醸し出しています。
長石垣の手前には空堀があり、右手には西大手櫓門、左端には戌亥櫓が待ち受ける。
西出丸を見て、清正自身が「自分が不在でも、百日は攻め落とせない」と言ったそうです。
城の北東方面を防衛する櫓群。一枚目写真の平櫓を見ながら右に曲がると不開門と五間櫓があり、
さらに右に曲がると二枚目写真の北十八間櫓、東十八間櫓が出現します。
今回は時間切れで見れませんでしたが、天守内部や百間石垣なども見どころです。
清正公のファンでしたら、少し足を延ばして本妙寺公園の立像も格好いいので是非。
☆ 熊本空港から行く
リムジンバスが出ています。交通センターまで約40分、北へ徒歩約5分。
☆ 熊本駅から行く
市電と、バスがあります。
市電:熊本駅前→熊本城・市役所前まで約10分、北へ徒歩約3分。
バス:熊本駅前バス停→交通センターまで約10分、北へ徒歩約5分。
新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
九州地方の記事
加藤清正の記事
この記事の後によく読まれているおすすめ記事
この記事へのコメントや情報提供をお待ちしています