名古屋城石垣の刻印を見に行こう! Vol.04 大天守 其の四
2025.03.29
2019.09.13
尾張国海東郡荒子村にて生誕、幼名は犬千代。
はじめ小姓として織田信長に仕え、その後赤母衣衆としても活躍する。
信長亡き後は羽柴秀吉に臣従、その覇業を支え、加賀国を与えられる。
豊臣政権の要となり、五大老の一人として幼い豊臣秀頼を補佐しつつ
徳川家康を牽制していたが、1599年に秀吉の後を追うように病死する。
名古屋市の荒子駅にあるのは「前田利家公初陣之像」。
利家の初陣は稲生の戦いで、この時17歳くらいだったと思われます。
後に「槍の又左」と呼ばれる利家の、初々しくも凛々しいお姿。
ちなみに、見送るまつはこの時9歳くらい、2年後に利家の室となるそうな。
利家の生誕地といわれる富士大権現天満天神宮、荒子城跡も近くにあります。
荒子駅(JR)
所在地:愛知県名古屋市中川区吉良町138−2
富士大権現天満天神宮(荒子城跡)
所在地:愛知県名古屋市中川区荒子4丁目201
NHK大河ドラマ『利家とまつ』放映の記念として作られた像。
小丸山城は1582年頃の築城で、利家42歳、まつ34歳くらいの時ですね。
利家にとって、その後の出世の起点となった城と言えるでしょう。
小丸山城址公園
所在地:石川県七尾市馬出町ツ61−1
ここにあるのは、母衣(ほろ)を背に槍を天に向ける若き日の騎馬像です。
母衣をまとい、連絡係として戦場を駆ける母衣衆は、言わばエリート集団。
目立つため敵からも狙われやすく、危険も多かったことでしょう。
ここでも二人一緒。少し離れた位置に、まつの像もあります。
尾山神社
所在地:石川県金沢市尾山町13−22
金沢城公園の東側に立つ、金色の兜がまぶしい「前田利家公之像」。
北ノ庄城攻め後、秀吉から加賀国を加増されたときの勇姿だと思われます。
金沢城公園
所在地:石川県金沢市丸の内8
高岡城跡には、利家の子で加賀藩初代藩主である利長の騎馬像が。
高岡駅の南口と、まちの駅たかおかの近くにも利長像があります。
新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
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