続100名城を巡る 「赤木城」
2024.08.12
2020.11.05
『あらゆる悪い縁を切り、良縁を結ぶ』という文言がひと際目を引く京都の「安井金比羅宮」。
花見小路から建仁寺、そして高台寺に向かう途中にあるその場所は、近寄りがたくもあり、また近寄ってみたくもなる不思議な場所です。
華やかな八坂神社から祇園花見小路を抜け、建仁寺からわき道を少し行くと『安井金比羅宮』という神社があります。
鳥居にある文言があまりにもインパクトが強すぎて、偶然通りかかった人は鳥居をくぐるのためらうかもしれません。
『悪縁を断ち・・・』という文言にブルっと怯えてしまうかも?
そんなときは、何か身に覚えがあるのかもしれません。
京都の街を散策していて、芸奴さん、舞妓さん、花嫁さんや高貴な僧侶の方などにお会いすることができると、なんとなく運気アップの感じがしますよね。
それとは逆に『悪縁を断つ』という文字を目にすると、何となく怖い感じがします。
この宮はいったいどんなところなの?と不安になるかもしれませんが、実は京都では人気のパワースポットなのだそうです。
確かに平日の午前中でも、境内にはたくさんの人が参拝していました。
地元のガイドさんによると、これでもコロナ以前よりもずっと観光客は少ないそうです。
こちら安井金比羅宮は、コロナ前ですと、平日でも『縁切り縁結び碑(いし)』は長蛇の列なのだそう。
今は本当に観光客が少ないですとおっしゃっていました。
こちらが『縁切り縁結び碑』です。
高さ1.5m、幅3mの絵馬の形をした石。真ん中の亀裂を通して神様のお力が穴の中に注がれているそうです。
24時間いつでもお参りできると聞き、人目をはばかって来なくてはならない人の切実な想いもあるのかもしれないと思うと、何だか心がチクリとしました。
今回、せっかく安井金比羅宮を訪れたので、三英傑、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は、この神社に参拝されたのかを調べてみましたが、その痕跡がみつかりませんでした。
その理由を探ってみましたが、それも見つからず・・。
なぜだろう?ゆかりのある地の神社では、小さくても関わりをみつけられることが多いのですが、今回は調べた範囲ではみつけることができません。
私の推測になってしまいますが、当時の安井金比羅宮は『断ち物の祈願所』であったことがその理由何ではないかと思いました。『断つ』ということが勝ち進むべき将軍にとっては、縁起のよいものとして捉えなかったのかもしれません。
現在のように『断つ』を『悪縁を断つ』として捉えることもできたのでのでしょうが、戦国の世は何が悪縁であるか、何が良縁であるかもわかりにくかったのかもしれませんよね。
直接的はゆかりのある宮ではありませんが、視点を変えるとゆかりを持たなかった宮でもあるので、また違った味わいがありました。
崇徳天皇は、保元の乱に敗れてで讃岐の金比羅宮にお籠りされ、その後ご崩御された時に、阿波内侍が崇徳天皇から賜った自筆の御尊影を安井金比羅宮の元である光明院観勝寺の中の観音堂にお祀りしました。
その後、大円法師が御堂にお籠りした際、崇徳天皇がお姿を現わしたことから、後白河法皇がご命令して光明院観勝寺を建立したことが安井金比羅宮の起源だということです。
戦によって寵妃と離れ離れになってしまった崇徳天皇は、恐れられることが多い天皇ですが、人々が自分のような悲しい出来事にあわないように、今では男女の縁のほか、病気やお酒、嫌な出来事などの悪縁を切り良縁を結んでくださるご本尊となり人々を見守っています。
京都市東山区東大路松原上ル下弁天町70
拝観料:無料
拝観時間:24時間可
形代(お札)も形代授与所で終日あり100円
お守り・絵馬等の授与所は9:00~17:30
JR・近鉄
JR新幹線・東海道本線・近鉄 京都駅より
市バス206系統北大路バスターミナル行
「東山安井」下車1分
京阪電車・阪急電車・京阪本線「祇園四条」駅下車徒歩10分
阪急京都線「河原町」駅下車徒歩15分
rico
教育系ライターricoです。 公立小学校の教員をしていました。戦国時代の強い姫たちが好きです。特に江のファン。読んでくださる方の心にイメージが広がるような文章を紡いでいきたいと思っています。
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