武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2021年9月12日記事のため内容が古い可能性があります。

城を巡る 復興天守の巻:島原城

2021.09.12

復興天守とは

かつては天守が存在した城に再建するもののうち、
資料が乏しいため他の天守を参考に再建したり、
資料はあるものの異なる外観で再建された天守を指す。

雲仙岳のふもとで悠然と佇む「島原城」

別名:森岳城、高来城。長崎県島原市にある連郭式平城。
1618年から7年かけて松倉重政が築城、1964年に天守が再建。
築城当時の正確な姿ではない再建のため、復興天守に分類される。

天守

天守すぐ横に駐車場があるため、今回は天守からスタート。
破風のない層塔型のスタイリッシュなお姿ですね。

天草四郎と織田信長の像

天守の東側には、島原の乱の主役となった天草四郎の像が。
豊臣秀頼のご落胤など、様々な伝説を囁かれた人物です。

お隣には、岐阜城にあるものと同じ型の織田信長騎馬像も。

巽櫓と御馬見所

像の奥に見えていたのが、本丸南東側にある巽櫓。
現在は像の作者である、北村西望氏の記念館となっております。

こちらは、三の丸から移築された御馬見所。幕末の建築物です。
この中から、時の藩主・松平忠和が藩士たちの訓練を見ていたそうな。

本丸

本丸にあるこの巨石は、景華園遺跡の支石墓掌石といわれるもの。
展示資料として移されたもので、その重さはなんと18.4トン!

少し北に進むと右手にあるのが、民具資料館となっている丑寅櫓。
このあたりからは、島原文化会館のある二の丸方面が一望できます。

少し西へ移動し、古野梅苑へ。松倉重政祭祀の祠とここから見た天守。

西の櫓

こちらは、本丸の西南方向に位置する西の櫓。
天守にさきがけて、1960年に外観復元されました。

鉄門跡

日没も近づいてきたので、石垣を撮影すべく急いで外へ。
一枚目が南側、二枚目が北側の二の丸方面を撮った写真です。

この入口は後世のもので、往時は二の丸からしか入れなかったとか。

水堀と石垣

水堀の方へ下ることができ、そこから見上げる石垣は素晴らしいの一言。


西側の石垣

水堀から戻って入口を通過し、北方向へ。こちら側から見る石垣もお見事。

もう少し進むと、本丸と二の丸間の様子が。天守もちらっと見られます。

大手門跡

最後は、城郭の南東側にあった大手門跡へ。

天守・櫓と屈曲した石垣が一同に見られるのも、こちら側でございます。

日没時間切れで全部見学できなかったため、再訪したい城の一つです。
次回は大阪府、だんじり祭りで有名な地域にあるあのお城へ。

 

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島原城へのアクセス

電車で行く:島原鉄道「島原駅」より西へ徒歩約10分。
車 で行く:雲仙グリーンロード「島原IC」より、東方面へ約5分。

地域カテゴリ

新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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