武将愛 SAMURAI HEART

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足跡を巡る 織田信長の巻:其の四

2020.06.26

「足跡を巡る」とは

戦国武将の生涯を、写真とともに辿っていくシリーズ。
物事が起こった年代、諸説ある動機や人間関係などについては
深く考えずにざっくりとふれていく連載である。

美濃侵攻再開

松平元康との清洲同盟を成立させ、東側の憂いを絶った信長。
その後、宿敵・斎藤義龍が急死。これを好機と見て、西美濃へ侵攻します。

森部の戦い、十四条・軽海の戦いで、織田軍は浮足立つ斎藤軍に連勝。
その十四条の戦い前に建築されたという逸話があるのが、墨俣一夜城です。

順調な美濃侵攻でしたが、犬山城主・織田信清の謀反で事態は急変。
これを鎮圧する為、信長は信清のいた犬山城の支城・小口城へ進軍。
しかし力攻めに失敗し撤退。またもや同族との争いを余儀なくされます。

墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)
所在地:岐阜県大垣市墨俣町墨俣1742−1

小口城跡(小口城址公園)
所在地:愛知県丹羽郡大口町城屋敷1丁目261

清洲から小牧へ

1561年の稲葉山城攻め、1563年の新加納の戦いにも敗れた信長は、
稲葉山城攻略より先に信清を滅ぼし、後顧の憂いを絶つ作戦へ転換。
これに伴い、信長は拠点を清洲城から小牧山城へうつし臨戦態勢へ。

そして、1564年にいよいよ攻略開始。まずは、支城である小口城と黒田城を
丹羽長秀が調略し、犬山城の孤立に成功します。写真は黒田城跡。

信清は籠城作戦で抵抗しますが、耐えきれず降伏、犬山城を明け渡しました。
ここに再び尾張統一を成し遂げた信長、美濃攻めはいよいよ大詰めへ。


小牧山城(小牧山史跡公園)
所在地:愛知県小牧市堀の内1丁目

黒田城跡
所在地:愛知県一宮市木曽川町黒田字古城

犬山城
所在地:愛知県犬山市大字犬山北古券65−2

悲願成就

勢いに乗った信長は北進し、岐阜城の東側にある宇留摩城・猿啄城・美濃金山城
堂洞城などを次々と攻め落としてゆきます。写真は美濃金山城跡。

1566年の河野島の戦いを経て、信長は滝川一益に命じ北伊勢も攻略。
南西方面も押さえて、1577年、いよいよ稲葉山城を落としにかかります。

難敵だった西美濃三人衆が内応すると、信長は稲葉山城を急襲。
わずか半月で攻め落とし、長きに渡った稲葉城攻めを成就させます。
その後、岐阜城と改名し拠点とすると、「天下布武」の道を歩み始めました。

美濃金山城跡
所在地:岐阜県可児市兼山

岐阜城
所在地:岐阜県岐阜市18

おまけ

1561年と1563年、2度にわたって信長の美濃侵攻を阻んだのが竹中半兵衛。
1544年に竹中重元の子として、この大御堂城跡で生誕したと言われています。

1560年、半兵衛が家督を継ぎ城主となったのが菩提山城。
斎藤龍興が半兵衛を重用していたら、信長の美濃攻略はどうなっていたのでしょうか。

大御堂城跡
所在地:岐阜県揖斐郡大野町大字公郷2196

菩提山城跡
所在地:岐阜県不破郡垂井町岩手

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新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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