続100名城を巡る 久留米城
2024.10.14
2024.05.12
この連載は、公益財団法人日本城郭協会が定めた「日本100名城」の中で、
筆者が訪れたことがあるお城を紹介してゆくものである。
なお、城郭名は「日本100名城」の表記に合わせ記してゆく。
今回の史跡は、日本100名城の90番、長崎県平戸市の「平戸城」。
1599年(慶長4年)、松浦鎮信(まつらしげのぶ)による築城がはじまり。
亀岡または日の岳と呼ばれた地へ築城したことから、
「亀岡城」や「日の岳城」という別名もあります。
築城から約12年の月日をかけて完成した「平戸城」ですが、
その直後にあたる1613年(慶長18年)に突如として焼失。
原因は築城した松浦鎮信自身による放火とされております。
居城を失った松浦家でしたが、「平戸城」の再建はせず
平戸港を挟んだ北側の地へ「中之館(なかのたち)」を築き移動。
しばらくはここを居館及び藩庁としたようです。
その後、「平戸城」の再建は約100年後の1704年(元禄17年)に開始。
当時は「武家諸法度」により新規築城が禁止されていたにもかかわらず、
松浦鎮信のひ孫にあたる4代藩主の松浦鎮信(曾祖父と同名)、
5代藩主の松浦棟(たかし)の尽力で幕府の許可をとりつけました。
新たな「平戸城」は、山鹿素行(やまがそこう)を祖とする「山鹿流」の
築城法を取り入れ、1718年(享保3年)に完成。
1871年(明治4年)の廃城令により一部を残し取り壊しとなりましたが、
1962年(昭和37年)に天守及び4棟の櫓が再建されました。
・南側の亀岡公園入口からスタート、「大手御門跡」からさらに中へ
一枚目は入口付近から、二枚目は振り返って見た桝形虎口
・続いて見えてくるのは「二の大手御門跡」
先へ進む前に、右手に広がる素晴らしい石垣をチェック
・さらに進み、二の丸跡に鎮座する「亀岡神社」に到着
目線をあげれば、天守も少し見えております
・少し戻り、亀岡神社の左側通路から天守方面へ
こちら側には、再建されカフェとなっている「乾櫓」が
・道なりに進むと、正面に「北虎口門」と「狸櫓」が見えてきます
どちらも、廃城令の際に破却を免れた現存建築物
・狸櫓の右手にある漆喰壁の下には、珍しい「石の狭間」もあります
・北虎口門から一度外へ、石垣とともに「地蔵坂櫓」を見上げる図
・「地蔵坂櫓」を内側からも堪能し撮影
・石の狭間がある漆喰壁を見ながら先に進み、「本丸門」へ
ここを越えれば、いよいよ天守のある本丸です
松浦鎮信が「平戸城」を築き始めた1599年(慶長4年)といえば、
日本全国が東軍西軍に分かれ争ったあの「関ヶ原の戦い」の前年。
東西どちらにつくか、松浦鎮信は同じく肥前地区を治めていた
大村喜前、有馬晴信、五島玄雅たちと相談し東軍へつくことに。
この時、松浦鎮信の子である松浦久信は西軍へ参加しており、
松浦鎮信は築城中の「平戸城」を一部破却し徳川家康へ忠誠をアピール。
これを良しとした徳川家康は松浦家の所領を安堵、
西軍についた松浦久信へのお咎めもなく、松浦鎮信も胸をなでおろします。
しかし、松浦久信が1602年(慶長7年)に急逝、
九州攻めに従って以降懇意だった豊臣家と徳川家の関係が徐々に悪化
するなど、松浦鎮信は心穏やかではいられない状況に…
そのような流れの後、1613年(慶長18年)に松浦鎮信による放火が勃発。
松浦家に起こった出来事を記した『三光譜録』によれば、
家督を継いだ嫡男の松浦久信が松浦鎮信より先に亡くなり、
「久信のため築城したのに…」というやるせない心境から放火したのだとか。
しかし、松浦久信の急逝が1602年(慶長7年)であり、
平戸城放火には10年以上隔たりがあるため、あまりピンときません。
実際のところは、豊臣家と懇意であり貿易で栄えていた松浦家が
徳川家からの疑いを避けるためやむなく燃やしたのでは、と見られています。
その後100年もの間「平戸城」の再建をしなかったことを鑑みると、
徳川家にはばかっての行動という動機の方がしっくりきますね。
・こちらが本丸から見た三層五階の「模擬天守」
・天守内は各階で様々な展示や体験型の仕組みがあり、
平戸城模型+映像、石垣積みパズルなどが楽しめます
・最上階には、スマートフォンを駆使し遠隔で写真を撮れる機械も
やってみたかったのですが、この日はかなりの強風だったので断念…
・最上階からの眺めはまさに絶景!
一枚目は北側の見奏櫓と懐柔櫓、二枚目は本丸側を見たものです
・天守を出て東へ進み、先ほど上から見た「見奏櫓」の方へ
急な崖の上に建てられているためか、こんな感じの石垣に
・こちらは見奏櫓の東側にある「懐柔櫓」
現在は「城泊」ができる施設となっております
・最後は平戸城遠景三連発、まずは松浦史料博物館から
・平戸港交流広場にある「カリヨンの鐘」との一枚と、
オランダ埠頭あたりからの一枚、望遠レンズが大活躍でした
かつて「中之館」であった地にある「松浦史料博物館」は、
松浦家秘蔵の貴重な史料や甲冑などが盛りだくさん。
付近には復元された「平戸オランダ商館」などもあるので必見です。
市役所付近にある「幸橋(さいわいばし)」と「幸橋御門」
平戸城(亀岡公園)
場所:長崎県平戸市岩の上町1458
電車でのアクセス:松浦鉄道「たびら平戸口駅」からタクシーで約10分
車等でのアクセス:西九州自動車道「佐々IC」から北西方向へ約35分
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新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
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