武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2022年10月16日記事のため内容が古い可能性があります。

城を巡る 模擬天守の巻:中津城と杵築城

2022.10.16

模擬天守とは

・城はあったが天守はなかった地に建てられた
・城に天守台はあったが天守はなかった地に建てられた
・城に天守はあったが、往時とは異なる場所に再建された
以上のいずれかに該当する天守を指す。

中津城

大分県中津市にある、日本三大水城にも数えられるお城。1964年再建。
黒田孝高により築城、その後細川忠興が改修したと言われている。

黒田孝高の像はこちらでもご紹介→「武将像を巡る:座像 其の二」の記事はこちら

中津城の天守とその周辺

2018年頃に中津城を訪れた際の写真です。まずは、北東側から見た天守。

こちらは黒田如水(孝高)とその正室・光姫の像。
黒田如水は生涯側室を持たず、晩年も夫婦で仲良く過ごしたそうな。

中津城の石垣

天守と並ぶ中津城の見どころが、この歴史を感じさせる本丸石垣。
真ん中の隅石から右側が黒田時代、左側が細川時代の石垣です。

城跡の北側には中津川が流れており、往時は天然の堀として機能。
豊前海に近く海水も入ることから、三大水城のひとつにも数えられております。

塀近くの階段を降りて左にゆくと、加工された石を用いた石垣が目前に。
このあたりの石垣は、黒田時代に古代の遺跡から持ってきて積んだとのこと。

この写真左側部分は、自然石を用いた細川時代の石垣。
真ん中らへんの色が違う部分は、本丸へ続く鉄門があった場所を埋めたものです。

中津城の本丸跡

川沿いをもう少し歩いて本丸の方へ。こちらは、奥平神社と天守。

天守入口の手前にあるのは、馬具などを収納していた大鞁(だいひ)櫓。

ちなみに中津城の天守は、往時の萩城天守を模していると言われております。

中津城の天守内部

展示物は、長篠の戦いで名を馳せた奥平氏ゆかりのものが盛りだくさん。

この時は長篠関連の特別展示があり、法螺貝など興味深いものが多数ありました。

杵築城

大分県杵築市にある、島津軍の猛攻に耐え抜いたという歴史を持つお城。
もともとは「木付」だったが、幕府が誤って記したことから「杵築」城となった。

杵築城の城門

駐車場から少し歩き、このなかなか個性的な城門から内部へ。

天守への道すがら、左右にある宝篋印塔やら五輪塔やらを見学。

杵築城の天守

そして、お目当ての1970年に建てられた模擬天守へ。
往時は層塔型天守だったそうですが、現在の天守は望楼型になっております。


おまけで、天守付近からの眺めと、駐車場あたりから見た天守を。

どちらの城も急いで見学したため、多々見逃した点があったと知り後悔…
次回行く時は中津城は門跡、杵築城は武家屋敷を忘れずに巡りたいと思います。

 

写真で攻める!大人気「城を巡る」その他のシリーズはこちらをクリック

 

中津城へのアクセス

電車で行く:JR「中津駅」より、国東観光バス杵築バスターミナル行きに乗車
「杵築城入口」バス停下車後、東方向へ徒歩約10分。
車 で行く:東九州自動車道「豊前IC」より、北東方面へ約15分。

杵築城へのアクセス

電車で行く:JR「杵築駅」より、北西方向へ徒歩約10分。
車 で行く:大分空港道路「杵築IC」より、南東方面へ約10分。

地域カテゴリ

新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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