愛知の城を巡る 山中城
2024.04.20
2016.07.15
岡崎城といえば徳川家康が生まれた場所であり、実は城郭が全国4番目に大きい城としても有名です。
そんな岡崎城の見どころといえば、家康の産湯の井戸や、模擬天守、石垣だけではありません。
城内のいたるところに、家康の一生を表した銅像がありそれを探す楽しみと、新たなパワースポット。
そして、家康の生き方を学ぶ場所まで。
新しい目線で岡崎城を楽しむ方法をお伝えします!
岡崎城の銅像といえば、この晩年の家康公だけだと思いがちですが、
実はその斜め後ろの噴水のこの武士は、家康の若い時、元服したての時代を表しているそうです。
そうとなると気になるのは竹千代。
このお城は竹千代時代に過ごした場所ですから、と探してみるといました。
家康と竹千代の銅像が乗っかっています。
岡崎城のボランディアガイドさんによると、このベンチは「最近出来たばかりですが、一部ではパワースポットともいわれています」
とのこと!
出世運、仕事運などを上げたい方はぜひ座ってみてはいかがでしょうか。
もちろん、家臣から最後は岡崎城の城主となった本多忠勝の銅像もぜひチェック。
実はいたるところに、家康の銅像がたくさんあるのが岡崎城の面白いところです。
岡崎城の入り口に、大きな碑がありますがこれは家康公の遺訓。その後ろにあるのが遺言です。
遺訓は岡崎市の学生さんは、卒業記念にこの遺訓を書いた紙を配布されるそうです。
これからの人生に役立てて欲しいということなのかもしれません。
こちらがその遺訓。
人の一生は重荷を背負うて 遠き道を行くが如し 急ぐべからず 不自由を常と思えば不足なし 心に望み起らば 困窮したるときを思ひ出すべし 堪忍は無事長久の基 怒りは敵と思え 勝つことばかり知りて 負くることを知らざれば 害その身に至る 己を責めて人を責めるな 及ばざるは過ぎたるよる勝れり
意味は、以下のとおり。
人の一生は重い荷物を背負って遠い道を歩いて行くようなものです。 急いではいけません。自由にならないことがあたりまえのことだと思えば全てが満足できます。 心の中に望みが起きたならば、とても困った時のことを思い出しなさい。 耐え忍ぶことは、健康でおだやかな状態を長く続けるもとであり、怒りは自分に害を与えるものと思いなさい。 勝つことばかりにこだわって負けることを受け入れられなければ悪い事が身の上に起こるでしょう。 自分を責めて他人を責めてはいけません、慎むことはやり過ぎることより勝れているからです。
しかし、この遺訓、家康が書いたものではないという説もあります。
ともあれ、この言葉自体はとても戒めになるので、家康が書いたものだと信じこんでいくのも良いと思います。
こちらは、2代将軍秀忠に残した遺言も、いい言葉です。
わが命旦夕に迫るといへども将軍斯くおはしませば天下のこと心安し
されども将軍の政道その理にかなはず 億兆の民艱難することもあらんには たれにても其の任に変らるべし
天下は一人の天下に非ず天下は天下の天下なり たとへ他人天下の政勢をとりたりとも四海安穏にして万人その仁恵を蒙らばもとより 家康が本意にしていささかも うらみに思ふことなし
意味は、
自分の命が終わりに近づいたが、秀忠が政治を立派に行っているので、天下のことは心配ない。
しかし、将軍の政道が道をはずれ、多くの人々が苦しむことになれば、誰でもその座にかわるがよい。
天下というものは、一人のための天下ではない。
天下はすべての人のものであり、そのすべての人のために天から任されたものであった。
たとえ、誰かが天下を治めようとも、四海安穏で平安に万人の幸せに通じるのなら、これは家康の望むところである。
こちらも家康最後の言葉となれば、重みがありますね。
生まれた岡崎城でこの言葉を見ると、感慨深い気持ちになれます。
岡崎で晩年を迎えたわけではありませんが、残した言葉を市民たちが愛着を持っているということが素晴らしいなと思います。
家康はじまりの岡崎城で、家康の一生について学びつつ、銅像探しをするのも岡崎城の新たな楽しみ方としておすすめです!
<徳川家康公のその他の投稿はこちら>
https://busho-heart.jp/archives/busho/tokugawa-ieyasu
北村美桂
岐阜県出身。東海三県の歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営を行うWebライター。
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