武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2022年2月13日記事のため内容が古い可能性があります。

城を巡る 復興天守の巻:岩国城

2022.02.13

復興天守とは

かつては天守が存在した城に再建するもののうち、
資料が乏しいため他の天守を参考に再建したり、
資料はあるものの異なる外観で再建された天守を指す。

山上から岩国の街を見守る「岩国城」

別名:横山城。山口県岩国市にある連郭式山城。
1608年、岩国の地に赴任した吉川広家により築城。
1962年にもとの場所から離れた位置に天守が再建された。

錦帯橋と天守

岩国城のある横山を登る前に、まずは日本を代表する木造橋・錦帯橋へ。

錦川にかかる錦帯橋と山上の岩国城を望む、鉄板のアングル。
美しい木組みが見られるため、下から見上げる錦帯橋もオススメです。

横山山頂へ

錦帯橋から西へ進み、ロープウェーで快適に山頂へ移動。
山頂から天守方面へはルートが2つあり、今回は南側ルートから行きましょう。

二の丸石垣

南側ルートを進むと、左手に二の丸石垣が見えてきます。
北側ルートのほうが歩きやすいですが、石垣を見るならば南側ルートへ。

出丸石垣と本丸石垣

更に進むと、左手上方には出丸石垣が。先には本丸石垣もお目見え。

南側ルートの岐路は、左へ行くと二の丸、右へ行くと北の丸へつながっております。
まずは本丸石垣を見ながら、北の丸の方へ行ってみたいと思います。

空堀

こちらは岩国城の見どころの一つ、本丸北側に広がる広大な空堀。

一枚目は西側から、二枚目は東側から撮影したものです。

大手虎口と天守

空堀から南下、大手虎口を通過し本丸上段から再建された天守へ。
復興天守は、唐造(からづくり)といわれる少し変わった外見が特徴的ですね。


天守からの眺め

天守に入り、最上階から岩国の街並みを一望。瀬戸内海まで見渡せます。

二の丸

天守を出て、帰り道は二の丸から。振り返り、南側からの天守も一枚。

大釣井と天守台石垣

二の丸から出丸へ移動した頃、本丸の北西側を見ていないことに気づいて大返し。
本丸西側には、築城時につくられた井戸・大釣井(おおつるい)があります。

そして、この旧天守台石垣。破城の際に壊された上段は積み直しですが、
中段から下は往時のものだとか。境界線がわからない見事な仕事ですね!

その他周辺史跡

ロープウェーで下山し、岩国藩主の居館であった御土居跡へ。
御土居は、山上の城郭が破却された後、明治まで政庁として活躍しました。

こちらは、旧岩国藩主吉川家を祀る吉香神社と、神社内の絵馬堂である錦雲閣。
ともに明治中期頃の建立ですが、それ以上の歴史を感じさせる風格です。


北の丸下にはさらなる石垣があったと後で知り、下調べの重要さを痛感しました…
次回は、長野県の諏訪湖にほど近い位置にあるあのお城へ。

 

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岩国城(ロープウェー山麓駅)へのアクセス

電車で行く:JR「西岩国駅」より西方面へ徒歩約30分。
車 で行く:山陽自動車「岩国IC」より、東方面へ約10分。

地域カテゴリ

新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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