武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2021年5月16日記事のため内容が古い可能性があります。

城を巡る 復元天守の巻:広島城

2021.05.16

復元天守とは

資料や図面などに基づき、築城当時の姿を忠実に再現したもの。
内部は鉄筋コンクリート造などで、見た目のみ再現した外観復元天守、
内部も外部も再現した木造復元天守の2つに分類される。

毛利氏と鯉でおなじみの「広島城」

別名:鯉城、在間城など。広島県広島市にある輪郭式平城。
毛利輝元により三角州へ築城され、その後福島正則が改修を行った。
1958年に天守が外観復元、1992年以降に表御門、平櫓などが復元された。

太鼓櫓と平櫓

本丸への出入口があるのは南側と東側。今回は南側から入ってゆきましょう。
写真の真ん中あたりにあるのが太鼓櫓、多聞櫓を経た左端が平櫓です。

もう少し西進。ちなみに、このとき訪れたのは日の出の時刻くらい。

表御門

櫓群を見ながら堀沿いを進むと、南側の出入口である表御門と御門橋へ。
往時の三の丸にあたる橋の手前から、遊覧船も出ているようです。

二の丸

御門橋を渡り、表御門をくぐった先にあるのが二の丸。
櫓群内部は公開されており、時間内であれば見学可能とか。


中御門跡

続いて北に進み、二の丸と本丸の間にある中御門跡へ。
左右の堀には、鯉城の別名にふさわしく色々な鯉が泳いでおります。

本丸下段

上段と下段に分かれている本丸、まずは下段の様子。
ここに鎮座する広島護国神社で、広島カープが毎年必勝祈願するそうな。

お次は東へ移動し、本丸下段の東南端あたり、櫓跡付近からの眺め。
広島城の特徴の一つである、馬出し状の二の丸が一望できます。

本丸上段

石段を登り、本丸上段へ。1枚目は明治以降に建てられた広島大本営跡、
2枚目は天守再建時に撤去し、そのまま移した旧天守の礎石群。

天守

現在は天守入口となっている南側、南小天守跡からの一枚です。

こちらは東側の東小天守跡から撮影した、朝日を浴びる美しいお姿。

裏御門跡へ

本丸上段から東進し、裏御門跡へ…行く前に、北の方へ寄り道。
福島正則が破却したといわれている石垣も要チェックです。

東側の出入口、裏御門跡。こちらは外枡形という形状になっております。

堀と天守

裏御門跡を出て、堀を左手に見ながら一周。堀越しに見る天守も良いですね。
一枚目は北側から、二枚目は西側から見たものになります。

ライトアップ

最後はライトアップ。表御門と、南側から見た天守。

朝イチ城巡りはゆっくり回れますが、建物内に入れないのが難点です。
次回は二の丸跡が球場だった、福島県白河市のあのお城へ。

 

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広島城へのアクセス

電車で行く:JR「新白島駅」より南へ徒歩約20分。
アストラムライン「県庁前駅」より北へ徒歩約15分。
車 で行く:山陽自動車道「広島IC」より、南方面へ約20分。

地域カテゴリ

新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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