城を巡る 復興天守の巻:岩国城
2022.02.13
2021.03.27
戦国武将の生涯を、写真とともに辿っていくシリーズ。
物事が起こった年代、諸説ある動機や人間関係などについては
深く考えずにざっくりとふれていく連載である。
1577年、御着城主・小寺政職などが織田家についたことを皮切りに、
秀吉は上月城を攻略するなど、順調に播磨を手中に収めていきます。
しかし、加古川城で行われた毛利攻めの軍議(加古川評定)で別所氏との
関係が悪化し、これを機に別所氏や同調した勢力が織田家に敵対してしまう事態に。
御着城跡(御国野公民館)
所在地:兵庫県姫路市御国野町1142−8
加古川城跡(称名寺)
所在地:兵庫県加古川市加古川町本町313
1578年、三木城に籠城し敵対する別所長治に対し、
秀吉は竹中半兵衛が発案したといわれている兵糧攻めを敢行。
こちらは、三木合戦に際し秀吉が本陣を置いたといわれる平井山。
補給路を断つため明石城などの支城を次々と攻略し、三木城を包囲してゆきます。
一方、毛利軍との闘いとなった上月城の戦いでは敗北。さらに荒木村重が謀反、
その説得に失敗した黒田官兵衛が幽閉されるなど、秀吉は苦境に立たされます。
三木城跡(上の丸公園)
所在地:兵庫県三木市上の丸町5
秀吉本陣跡(平井山)
所在地:兵庫県三木市平井385
明石城跡(明石公園)
所在地:兵庫県明石市明石公園1−27
1580年、反織田だった波多野氏を破り、宇喜多直家の調略成功などを経て、
ついに三木城が開城。別所長治と一族の切腹をもって三木合戦が終結します。
続いて秀吉は、北上し若桜鬼ヶ城を拠点として鳥取城の攻略を開始。
あらかじめ兵糧を買い占めた後、4ヶ月にも及ぶ壮絶な兵糧攻めを行い、
鳥取城主だった吉川経家の切腹を条件として開城することとなりました。
勢力拡大するこの時期の織田家中でも、出色の働きをしていたといえる秀吉。
対毛利氏の最中に飛び込んでくる衝撃の報せまで、残すところあと1年です。
若桜鬼ヶ城跡
所在地:鳥取県八頭郡若桜町三倉
鳥取城跡
所在地:鳥取県鳥取市東町1−220
其の一は、三木城主だった別所長治の首塚がある雲龍寺。
往時は城郭の一部だったとのことで、石垣も積んであります。
其の二は、秀吉の参謀として活躍した竹中半兵衛のお墓。
半兵衛は、2年にも及ぶ三木合戦中に戦場で亡くなったと言われています。
別所長治首塚(雲龍寺)
所在地:兵庫県三木市上の丸町9−4
竹中半兵衛墓
所在地:兵庫県三木市平井
新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
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