武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2022年5月28日記事のため内容が古い可能性があります。

城を巡る 復興天守の巻:忍城

2022.05.28

復興天守とは

かつては天守が存在した城に再建するもののうち、
資料が乏しいため他の天守を参考に再建したり、
資料はあるものの異なる外観で再建された天守を指す。

難攻不落の城だった「忍城」

別名:亀城。浮き城とも呼ばれる埼玉県行田市の平城。
1988年に、事実上の天守である御三階櫓が再建される。
小説から映画化もされた『のぼうの城』の舞台としても有名。

御三階櫓

戦国時代は沼地を利用し築かれ、まさに「天然の要害」であった忍城。
天守は本丸に再建されましたが、往時は南側の曲輪に建てられていたそうな。

ちなみに、初代の天守が完成したのは1702年。城下町の完成も同時期とのこと。

堀と鐘楼

天守の下、本丸の東側にあるのは綺麗に整備された水堀と土塁。

こちらは、本丸の北東側にある鐘楼を外から中から見た写真。
この鐘楼は、松平忠堯(ただたか)が桑名から忍へ移った際に持参したものです。

東門

本丸東側の入口となっているのが、復元された東門。
普段真ん中の門は空いておらず、左右にある小さい出入口を使っているようです。

本丸

東門を通過し、本丸内へ進入。こちらは北側の周辺。

東門と天守の直ぐ側などには、櫓に使われた石垣もあるのでお忘れなく。

南へ移動し、天守西側を本丸から見たらこんな感じ。
続櫓のような現代建築物の先には、行田市郷土博物館があります。

本丸跡碑は、本丸西側にある駐車場あたりに佇んでおりました。

伝・進修館表門

天守西方向には、藩校「進修館」のものだったと伝わる門が。
行田市内で唯一現存する、武家屋敷の表門だそうです。

諏訪曲輪跡

本丸の北、道路を挟んだ先にあるのが忍諏訪神社と忍東照宮。
ここにあった往時の俯瞰図を見て、現在との違いを改めて感じました。

石田堤

そして、忍城と切っても切り離せないのが「忍城の戦い」の水攻め。
忍城の南東3kmほどの位置には、石田三成が築いた堤防跡があります。

1週間ほどの期間で、約28kmに渡ってこれより高い土塁を築いたといわれており、
水攻めには失敗しましたが「石田三成率いる豊臣方恐るべし!」ですね。

城巡りを始めた頃に行ったきりなので、忍城は現在の装備で改めて行きたいお城です。
復興天守シリーズはこれにてお開き。次回から新シリーズをお送りしたいと思います。

 

写真で攻める!大人気「城を巡る」その他のシリーズはこちらをクリック

 

忍城へのアクセス

電車で行く:秩父鉄道「行田市駅」より北西方面へ徒歩約15分。
車 で行く:東北自動車道「羽生IC」より、西方面へ約30分。

地域カテゴリ

新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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