愛知の城を巡る 山中城
2024.04.20
2023.03.05
この連載は、2023年の大河ドラマ『どうする家康』で舞台となった地を
後追い、あるいは先読みしながらご紹介していくものである。
なお、タイトルにちなんで、記載は年齢問わず「家康」で統一する。
第九回は、人間不信に陥り引きこもる徳川家康と、不満が募る家臣たちの描写から開始。
家臣たちを信じると決めてからは、徐々に劣勢を覆していくという展開でした。
本多正信と大久保忠世の過去、徳川家康と同じく迷っていた空誓、戦後処理…
三河一向一揆編最終回は、印象に残る描写が多くありましたね。
今回の史跡は、三河一向一揆の際に吉良義昭が入ったともいわれる東条城。
吉良義昭はもともと東条城を居城としていましたが、徳川家康に攻められ1561年に降伏。
この時東条城を去りますが、三河一向一揆に乗じて再び徳川家康に牙をむきます。
一向宗側と連動して挙兵したか、それとも機に乗じただけかははっきりしていませんが、
結果として吉良義昭はここでも徳川家康に屈し、三河を去ることに。
・東条城 駐車場に近い東側からの「登城口」、坂の上には冠木門も
・東条城 「三の丸」から見上げる本丸方面
こちらは、「三の丸」南西側まで移動し北方面を振り返った景色
・東条城 現在八幡社となっている「二の丸」、奥には土塁も残っております
・東条城 「本丸」への表側入口にあたる大手虎口
かつては模擬櫓門と櫓がありましたが、老朽化の為2021年に撤去されました
「本丸」側から見た大手虎口、こちらも現在と模擬櫓門・櫓のあったかつての姿を
・東条城 「本丸」内の様子、城址碑は北側に向かう途中にあります
東側には裏口にあたる搦手の虎口がありますが、こちらから出入りはできません
実は、吉良義昭が三河一向一揆の際に東条城へ入ったかどうかは定かではありません。
しかし、三河統一を目指した徳川家康を苦しめたうちの一人であることには間違いなし。
特に桶狭間の戦い後、今川家から独立したてだった徳川家康は大いに悩まされたことでしょう。
その後、東条・西条に分かれていた吉良家は統一され三河吉良家として徳川家康に仕えることに。
家格の高い「高家」として存続しますが、赤穂事件後に吉良家は一時断絶となりました。
・東条城 城の北西側「登城路」、帯曲輪があるためこちら側も要チェック
・藤波畷古戦場跡 城の北西側にある「古戦場跡碑」と、本丸から見た古戦場跡方面
・藤波畷古戦場跡 藤波畷で散った吉良家の勇将・富永伴五郎を祀っている「伴五郎地蔵」
写真中央の右奥あたりに見えるのが東条城です
・小牧砦 こちらは徳川家康が東条城攻めの際に本陣とした「小牧砦」です
後悔をしつつも、「厭離穢土欣求浄土」の言葉を胸に心機一転の徳川家康。
次回は、側室を探すという少しコミカルになりそうなお話になりそうです。
第九回の主役だったといっても過言ではない本多正信の退場は残念ですが、
今川氏真の再登場や武田信玄と徳川家康とのからみなどに期待しましょう。
東条城
場所:愛知県西尾市吉良町駮馬城山45
伴五郎地蔵(藤波畷古戦場跡)
場所:愛知県西尾市吉良町寺嶋五反田57−1
小牧砦(小牧陣屋)
場所:愛知県西尾市吉良町小牧郷後
新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
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