丸亀城の城主は関が原の戦いで親が敵だった
2024.02.20
2016.04.17
現存12天守の中でも2城しかない連立式天守。別名:金亀城・勝山城。
大天守をはじめとした、21棟もの重要文化財を誇る。
加藤嘉明が1603年より築城を開始し、およそ25年をかけて完成するも、1784年に落雷で焼失。
1854年に再建し現在に至る。下から見上げるその姿は、まさに難攻不落といえよう。
三の丸から見上げる二之丸と天守。二の丸の復元多聞櫓と石垣がそびえ立つ。
槻門跡。約100mの間に3つの門跡があり、まさに鉄壁。奥の西大砲台石垣も美しいです。
大手門跡付近から見た筒井門西続櫓・太鼓櫓。15分ほど登ると、いよいよ城郭へ。
大手門跡の北側眺め。直進は行き止まり、天守へ行くには太鼓櫓下を折り返さねばなりません。
戸無門と太鼓櫓、筒井門。天守は近いようで遠い。寄手は少しでも立ち止まると集中砲火ですね。
太鼓門西塀からみた筒井門。筒井門を通過しても、今度は太鼓門西塀の狭間から狙われます。
天守群と馬具櫓。筒井門を抜けると、眼前には天守群と壮大な屏風折石垣が!
馬具櫓下の石垣。大手門跡から天守へ向け直進すると、この石垣が立ちはだかります。
筑紫門は、大手と搦手とを分断する守りの要所。近づけば、小天守と南隅櫓から狙い撃ち。
ちなみに、天守・小天守・櫓などの連立している建物群の総称を「本壇」と言います。
北隅櫓は戌亥小天守、南隅櫓は申酉小天守との別名があり、それも納得の佇まい。
この構図、個人的に「連立式天守」という名称が妙にしっくりきました。
乾櫓・乾門・乾門東続櫓。搦手の古町口登城道から攻め上ると、この門と櫓が目前に。
野原櫓・乾櫓と石垣。松山城の北西方面を守る櫓。ここも屏風折石垣。
本丸北側石垣。築城時からの打込ハギによる石垣で、この上にも櫓があったそうです。
巽櫓と石垣。何とも素晴らしい扇の勾配!これほどの曲線美はなかなかありません。
東側の景色。下に天神櫓と艮門・艮門東続櫓、遠目に100名城の湯築城跡があります。
県庁裏登城道の「登り石垣」と、東雲口登城道入口の「加藤嘉明公像」なども見どころ。
筒井門と乾門からは朝5時(季節による)に入れるので、早起きして行くのがオススメです。
☆ 最寄駅から市内電車を利用して行く
松山駅(JR)から:「道後温泉行き」で約10分→「大街道」下車、北へ徒歩約5分
松山市駅(伊予鉄道)から:「道後温泉行き」で約6分→「大街道」下車、北へ徒歩約5分
☆ 松山空港から行く
「道後温泉駅前行き」リムジンバスで約30分→「大街道」下車、北へ徒歩約5分
※ロープウェイ乗り場のある東雲口への所要時間です。
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新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
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