丸亀城の城主は関が原の戦いで親が敵だった
2024.02.20
2021.02.14
資料や図面などに基づき、築城当時の姿を忠実に再現したもの。
内部は鉄筋コンクリート造などで、見た目のみ再現した外観復元天守、
内部も外部も再現した木造復元天守の2つに分類される。
別名:比志城、地蔵ヶ嶽城など。愛媛県大洲市にある梯郭式平山城。
宇都宮豊房による築城、藤堂高虎らが大規模な改修を行った。
4棟の櫓が現存建築物であり、2004年には天守が木造復元された。
二の丸大手門こと櫓下御門跡。往時は左右が内堀だったそうです。
二枚目は北側から。現在残っているのは枡形南側の石垣のみ。
櫓下御門跡の先にあるのが、食料庫だったと言われる下台所。
現存建築物であり、下から天守と石垣も見られる位置にあります。
下台所から順路を進むと、左側には二の丸奥御殿跡が。
城主の住まいだったこの場には、現在中江藤樹先生がおわします。
二の丸の奥御殿跡に背を向け、天守のある本丸方面へ移動しましょう。
本丸下段にあたる井戸丸には国内最大級の井戸があり、
上から下台所が見える南側には、かま櫓跡があります。
本丸上段、天守に至る最後の城門だったのがこの暗り門跡。
暗がり門跡を通過し、いよいよ天守へ。写真は本丸側から見た天守群。
右から順に台所櫓・天守・高欄櫓で、櫓は共に現存建築物です。
ここから建物内へ。入口は台所櫓にあり、天守へもつながっております。
続いては天守内部。木が若返り、雰囲気がガラッと変わりますね。
天守内は木造復元の良さが堪能でき、特に吹き抜けからみる心柱は圧巻!
天守を見た後は高欄櫓へ。一階には精巧な往時の大洲城模型が。
二階からは城下が一望でき、天守も少し違う目線で見られます。
天守を出て二の丸まで戻り、北側の石垣と天守・台所櫓のお姿も要チェック。
二の丸東側、肱川に面する位置にあるのがこの苧綿(おわた)櫓。
こちらは、大洲城の中で最も古い建築物である三の丸南隅櫓。
現在テニスコートとなっている櫓の下は外堀跡です。
大洲城の南側入口、搦手門としての役割を担っていた西門跡。
北側の遠目に天守が見られる、なかなか良い撮影ポイント。
訪城時は見逃しましたが、肱川越しに見る大洲城も良さげですね。
次回は1995年に木造復元された、片倉氏ゆかりのあのお城へ。
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電車で行く:JR予讃線「西大洲駅」より東へ徒歩約25分。
「伊予大洲駅」より南へ徒歩約25分。
車 で行く:大洲道路「大洲肱南IC」より北方面へ約5分。
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新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
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