武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2021年2月14日記事のため内容が古い可能性があります。

城を巡る 復元天守の巻:大洲城

2021.02.14

復元天守とは

資料や図面などに基づき、築城当時の姿を忠実に再現したもの。
内部は鉄筋コンクリート造などで、見た目のみ再現した外観復元天守、
内部も外部も再現した木造復元天守の2つに分類される。

四層四階の木造復元天守「大洲城」

別名:比志城、地蔵ヶ嶽城など。愛媛県大洲市にある梯郭式平山城。
宇都宮豊房による築城、藤堂高虎らが大規模な改修を行った。
4棟の櫓が現存建築物であり、2004年には天守が木造復元された。

櫓下御門跡と下台所

二の丸大手門こと櫓下御門跡。往時は左右が内堀だったそうです。

二枚目は北側から。現在残っているのは枡形南側の石垣のみ。

櫓下御門跡の先にあるのが、食料庫だったと言われる下台所。
現存建築物であり、下から天守と石垣も見られる位置にあります。

二の丸奥御殿跡

下台所から順路を進むと、左側には二の丸奥御殿跡が。
城主の住まいだったこの場には、現在中江藤樹先生がおわします。


井戸丸

二の丸の奥御殿跡に背を向け、天守のある本丸方面へ移動しましょう。

本丸下段にあたる井戸丸には国内最大級の井戸があり、
上から下台所が見える南側には、かま櫓跡があります。

暗り門跡と本丸

本丸上段、天守に至る最後の城門だったのがこの暗り門跡。

暗がり門跡を通過し、いよいよ天守へ。写真は本丸側から見た天守群。
右から順に台所櫓・天守・高欄櫓で、櫓は共に現存建築物です。

台所櫓内部

ここから建物内へ。入口は台所櫓にあり、天守へもつながっております。

天守内部

続いては天守内部。木が若返り、雰囲気がガラッと変わりますね。

天守内は木造復元の良さが堪能でき、特に吹き抜けからみる心柱は圧巻!


高欄櫓内部

天守を見た後は高欄櫓へ。一階には精巧な往時の大洲城模型が。

二階からは城下が一望でき、天守も少し違う目線で見られます。

二の丸

天守を出て二の丸まで戻り、北側の石垣と天守・台所櫓のお姿も要チェック。

苧綿櫓と三の丸南隅櫓

二の丸東側、肱川に面する位置にあるのがこの苧綿(おわた)櫓。

こちらは、大洲城の中で最も古い建築物である三の丸南隅櫓。
現在テニスコートとなっている櫓の下は外堀跡です。

西門跡付近

大洲城の南側入口、搦手門としての役割を担っていた西門跡。
北側の遠目に天守が見られる、なかなか良い撮影ポイント。


訪城時は見逃しましたが、肱川越しに見る大洲城も良さげですね。
次回は1995年に木造復元された、片倉氏ゆかりのあのお城へ。

 

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大洲城へのアクセス

電車で行く:JR予讃線「西大洲駅」より東へ徒歩約25分。
           「伊予大洲駅」より南へ徒歩約25分。
車 で行く:大洲道路「大洲肱南IC」より北方面へ約5分。

地域カテゴリ

新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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