愛知の城を巡る 山中城
2024.04.20
2017.05.11
名古屋城春の陣で5月3日から7日まで名古屋城の茶室の一般公開がありました。
この茶室は使われているものが博物館級で、眺めるだけでも感動します。
茶室利用者でないと見られないのですが、今回はめったにない一般公開。
沢山の人が見学に来ていました。
茶室の庭の入口。すでに雰囲気がとってもいいですね。
こちらが橘寺の礎石を手水鉢として利用しているもの。
寺の礎石を持ってくることも、それを使えることもスゴイことですよね。
名古屋城築城時に使わなかった石をこうして、庭石として利用。
刻文がたくさん入っています。これを踏んでも良いのか気になるほどです。
こちらは加藤清正が名古屋城築城時に大石を運ぶ時に車の輪に使ったと言われる石に、穴をほって手水鉢に利用していたといわれるもの。
本当に加藤清正が使っていたかもしれないと思うと、ワクワクしますね。
実はこの茶室は加藤清正ゆかりのものがもう一つ。
この書院の中の棚などは、加藤清正お手植えの松が枯れてしまった時のものを使用しているとのこと。
こちらは有名な猿面茶室。
清州城時代の織田信長が、豊臣秀吉に対して「この節は猿の顔に似ていて、まるでお前の顔のようだ」と言ったエピソードが有名です。
節がわかりにくいので、こうした拡大図が用意されていました。
この茶室は正客だけが見られる突上窓の金のしゃちほこもステキです。
ただ松が邪魔で今はあまり良く見えません。
こちらは織部灯籠。古田織部が考案したとされるもので、熱田区の加藤家に伝えられたもの。
加藤清正とは関係がなく、熱田の国人の加藤家です。
太平洋戦争の戦火から守るために地中に埋めたエピソードがある灯籠です。
全体の形状が十字架に見立ててるので、キリシタン灯籠とも言われています。
こんなすごい茶室を作った方は誰かというと、国の文化財専門審議委員などをつとめた森川勘一郎氏。
文化財の発掘と保存に生涯を費やした方です。
名古屋市のサイトから森川氏についてを引用しました。
故森川如春庵(本名・森川勘一郎(1887-1980)は、中京の大茶人といわれ、また日本を代表する古美術の目利きとしても知られる近代を代表する文化人です。
古美術の目利きとしても優れ、茶人としても活躍したそうですよ。
縁側に座ってぼーっと庭を眺めるだけで、非日常感を味わえます。
もっと定期的に開放していただきたいですが、きっと大変なんでしょうね。
開放している時期を目ざとく見つけて行くのがベストです!
<地下鉄>
名城線 「市役所」 下車 7番出口より徒歩 5分
鶴舞線 「浅間町」 下車 1番出口より徒歩12分
<市バス>
栄13号系統(栄~安井町西) 「名古屋城正門前」
なごや観光ルートバス「メーグル」
基幹2号系統 「市役所」 下車 徒歩5分
<名鉄>
瀬戸線 「東大手」 下車 徒歩15分
名古屋高速1号楠線 「黒川」 出口から南へ8分
名古屋高速都心環状線 「丸の内」 出口から北へ5分
北村美桂
岐阜県出身。東海三県の歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営を行うWebライター。
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