愛知の城を巡る 山中城
2024.04.20
2017.08.15
愛知県津島市は、戦国時代、織田信秀らを中心とした織田家の財政を支える重要な湊がありました。
ユネスコ無形文化財にも登録された「尾張津島天王祭」は、津島神社の祭礼として600年近くの伝統があります。
提灯が美しい「まきわら船」が天王川に漕ぎ出す「宵祭」は、非常に有名ですね。
ところで、その津島神社ですが本殿や楼門など寄進している人がとっても豪華というのはご存知でしたか?
天王社の総本山である津島神社の歴史は、なんと1450年もあるそうです。
津島市ホームページによると、もともと疫病や厄除けの神様のようで、「西の八坂神社、東の津島神社」と称されていたようですね。
「津島牛頭天王社」「天王さま」とも呼ばれ、疫病や厄除けの神様として親しまれています。1450年もの長い歴史を誇る津島神社は、「西の八坂神社、東の津島神社」と並び称され、全国に3000余あるといわれる「天王社」の総本社です。また、多くの武将が天下取りを争っていた時代、信長や秀吉など名をあげた武将とのつながりも強かったようです。ここには、歴史の重みとともに、多くの文化財が残されていて、家康の四男松平忠吉の妻の寄進による本殿や豊臣秀吉の寄進による楼門は国の重要文化財となっています
織田家の木瓜紋は津島神社神紋と同じで織田家からがもちろん、豊臣家からも手厚く保護されていたようです。
そのためか、秀吉は楼門、秀頼は南門を寄進しています。
さらに気になるのは徳川家康の4男であり、東条松平家第4代当主・尾張国清洲藩主でもあった松平忠吉の正室、井伊直政の娘・政子が本殿を寄進していること。
松平忠吉は美男子でしかも武勇に優れた人物として、家康の期待を一心に受けたともいわれています。
関ヶ原の戦いでは、東軍の福島正則と先陣を争っていましたが、井伊直政を後見に初陣を飾ったそうです。
先陣に出ようとする福島正則に、井伊直政が「徳川家康の4男の初陣だから」と牽制したという逸話もあります。
ちなみに福島正則の軍には「笹の才蔵」でおなじみの可児才蔵がいて、いくつも敵の首を取りました。
その結果、西軍の島津豊久を討ち取るなどの武功をあげますが、この時のケガが元で病死してしまいます。
初陣でこの結果はすごいので、さぞや家康は忠吉の死を悔やんだことでしょう・・・。
そんな松平忠吉の妻は、「おんな城主直虎」にも登場する井伊直政の娘。
いろいろとつながっていくと、神社の歴史も興味深く見ていけるのではないでしょうか。
住所:愛知県津島市神明町1番地
電話:0567(26)3216
<アクセス>
名鉄津島線津島駅徒歩15分
北村美桂
岐阜県出身。東海三県の歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営を行うWebライター。
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