竹中半兵衛の居城・垂井町の「菩提山城」
2018.04.02
竹中半兵衛のゆかりの地として知られる垂井町。
標高約400メートルの菩提山に、半兵衛の居城である菩提山城がありました。
ちょっと登るのには時間を要しますが、ぜひ一度登って見るのにオススメの山城です。
菩提山城と半兵衛の歴史
菩提山城の創始年代などは明らかになっていないようですが、もともとは豪族の岩手弾正が砦を築いたのが始まりと言われています。
1558年に同じく豪族の竹中重元(半兵衛の父)が攻め滅ぼし、菩提山城を築きます。
傾斜が険しい要害で、高さもあるので容易には攻め落とせないようなお城です。
ちなみに、ふもとに竹中氏陣屋があるのは、戦の時以外は便のいい平地で過ごしたという説も。
菩提山城は地形を活かした天然の要害で、竪堀、堀切などが巧妙に配置され、敵が容易に頂上まで上がれないようになっています。
半兵衛は斎藤道三の有力な家臣である、西美濃三人衆の一人・安藤守就の娘と結婚。
斉藤家に仕えていましたが、道三の息子・龍興が一部の側近だけを溺愛し、古参の西美濃三人衆を遠ざけるなど目に余る行動が増えてきました。
そこで、永禄7年(1564年)安藤守就と手を組み、稲葉山城を襲い、龍興を逃亡させます。
主君を追い出したということになります。
その後、半兵衛は織田信長、豊臣秀吉と仕えて行くことになりました。
稲葉山城(岐阜城)よりも、菩提山城のほうが標高が高いので頂上から岐阜城を気持ち見落とし感じで眺めることができます。
菩提山城を登る
登山はだいたい1時間半ほどで頂上にいけます。車で途中まで登ることもできます。
行きやすい道ではないので、安全に登るためにも事前に垂井町の観光協会さんやボランティアガイドさんに相談したほうが良いです。
入り口の標識。
手作りの看板で、大手道を案内。
ハイキングコースのようですが、わりとちゃんとした登山なので装備はきちんとすることをおすすめします。
スタートから500メートルほど登った所。
新しい看板で菩提山城への入り口、竪堀をわかりやすく案内してくれています。
頂上にはのぼり旗。
切り株を活かしたベンチもありました。
頂上には全体の説明看板もあるので、登ってきた景色と照らし合わせて場所の確認もできます。
登りながら場所を確認したい場合は、あらかじめ縄張り図を手に入れて登ったほうが良いかもしれません。
菩提山城へのアクセス
住所:岐阜県不破郡垂井町岩手
電話:0584-22-1151 (垂井町観光協会)
北村美桂
岐阜県出身。東海三県の歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営を行うWebライター。
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