愛知の城を巡る 山中城
2024.04.20
2019.05.22
岡崎市には徳川家康ゆかりの神社仏閣がたくさんあります。
その中でも伊賀八幡宮は、安祥松平の初代・松平親忠が創建。その5年後氏寺・菩提寺とし大樹寺を建てたとされています。
さらに、徳川家康と徳川家光も車線の改修工事を行っていて、徳川家の祈願所として代々親しまれた神社です。
神社の権現造の社殿(本殿・幣殿・拝殿)、透塀、御供所、随身門、神橋、鳥居は、国の重要文化財指定を受けています。
松平の発祥は豊田市の松平郷で、初代は親氏とされています。豊田の方からどんどん進出し、3代目の松平信光の時代には文明8年に安祥城を奪い取ることに成功。奪い取った方法は、当時の盆踊りを近隣で催し城が抜け殻になったところを奪ったという話があります。
この松平信光は大変な子沢山で、男性だけで12名の子供がおり分家。この親類争いが後々大変なものとなり、徳川家康の祖父・松平清康の時代に、おおかた安祥松平が松平家を制する流れができていきます。
とはいえ、松平清康は徳川家康の父・松平広忠が10歳の時に死去、その後は叔父にあたる松平信孝らに岡崎城を追い出され、伊勢の方に放浪。数年は岡崎に戻れず、大変な苦労をすることとなりました。
このときは織田信秀の三河進出の勢いに押され、三河が松平清康の死で弱体化しているときでした。
伊賀八幡宮は安祥松平の神社であり、徳川家康も大きな戦の前には必ず参詣したといわれるほど徳川家の信仰が厚い神社でした。
徳川家光の時代には、祖父の徳川家康を御祭神として祀っています。
徳川家康の勝利にあやかれるとあって、受験など勝負事の祈願所としても親しまれています。
毎年恒例の家康行列の出発地でもあり、徳川家康公の戦勝祈願にならった出陣式が行われ、たくさんのお客さんでいっぱいに。
神橋のかかる池にはたくさんの睡蓮があり、時期になると美しい花を咲かせます。
蓮の最盛期も要チェックです。
権現造の社殿(本殿・幣殿・拝殿)、透塀、御供所、随身門、神橋、鳥居は国の重要文化財、県指定文化財などもあり神社そのものが重要文化財。
貴重な建物を見るだけでも、十分に価値があります。
ちなみに200円でおみくじが引けますが、どのおみくじにも大黒さまと恵比寿様のお守りがついています。
岡崎では強力なパワースポットとしても有名。岡崎城からも近いので、一緒に回ってみてはいかがでしょうか。
愛知県岡崎市伊賀町東郷中86
0564-26-2789
名鉄名古屋本線「東岡崎駅」から名鉄バス奥殿陣屋行他に乗り、「八幡社前」にて下車徒歩3分
駐車場は20台
北村美桂
岐阜県出身。東海三県の歴史旅ブログ「カツイエ.com」の運営を行うWebライター。
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