武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2021年11月27日記事のため内容が古い可能性があります。

足跡を巡る 徳川家康の巻:其の三

2021.11.27

「足跡を巡る」とは

戦国武将の生涯を、写真とともに辿っていくシリーズ。
物事が起こった年代、諸説ある動機や人間関係などについては
深く考えずにざっくりとふれていく連載である。

浜松城築城から姉川の戦いまで

遠江侵攻を終えた家康は、曳馬の地を浜松と改名し築城を開始。
1570年に、本拠地を岡崎城からこの浜松城へと移しました。


同年、織田信長とタッグを組み金ヶ崎の戦い・姉川の戦いに参戦。
姉川の戦いでは、浅井・朝倉軍への側面攻撃で戦況を変えたといわれております。


浜松城
所在地:静岡県浜松市中区元城町100−2

姉川古戦場
徳川家康陣跡
所在地:滋賀県長浜市野村町772
    滋賀県長浜市東上坂町1244

武田軍襲来

信長包囲網の形成、武田氏と北条氏の甲相同盟復活などを経て、
1572年には、ついに武田信玄が大軍を率いて徳川領へ侵攻を開始します。

武田軍は3方向から西上し、山県昌景率いる部隊が三河の柿本城を攻撃。


山県軍は柿本城を落とした後、伊平城・井伊谷城を次々と攻略。
武田軍本隊も東の遠江から迫り、徳川方は完全に後手に回るかたちに。


上の写真が伊平城跡、下の写真が井伊谷城跡。


柿本城跡
所在地:愛知県新城市下吉田柿本36

伊平城跡
所在地:静岡県浜松市北区引佐町東黒田

井伊谷城跡
所在地:静岡県浜松市北区引佐町井伊谷306

二俣城の戦い

一言坂での戦いでも、武田軍の勢いになすすべなく徳川軍は敗走。
信玄率いる武田軍本隊は、遠江の重要地にある二俣城を攻めます。


武田軍は天然の要害に苦戦するものの、水の手を絶つことで攻略。
この戦い、信玄は社山城に陣取り指揮したといわれております。


居城である浜松城の北、重要な位置にある二俣城まで失った家康。
後に、家康史上最大のピンチともいわれるあの戦いへと続きます。

二俣城跡
所在地:静岡県浜松市天竜区二俣町二俣990

社山城跡
所在地:静岡県磐田市社山472

おまけ

其の一は、遠江侵攻で家康の旗下となった久野氏の居城・久野城跡。
小規模ですが、ダイナミックな空堀と土塁が見どころといえるでしょう。


其の二は、こちらも遠江侵攻の際に舞台となった飯田城跡。
武田軍西上の際には落城しますが、のちに徳川軍が奪還します。


久野城跡
所在地:静岡県袋井市鷲巣1281

飯田城跡
所在地:静岡県周智郡森町飯田2885

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新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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