武将愛 SAMURAI HEART

戦場に散った女傑、お田鶴の方を祀る椿姫観音堂

2016.02.22

IMG_2111
今、浜松市では2017年の大河ドラマに選ばれた地元の女傑、井伊直虎に注目が集まり始めています。
戦国時代に不利な女性の身でありながら城主となり、滅亡寸前にまで追いやられた井伊家を支えました。のちに徳川四天王の一人となる井伊直政へ家をつなげた直虎は、たしかに非凡な人物です。

そんな直虎と同時代に、浜松にはもう一人歴史に名を残した女城主がいました。
浜松城の前身である曳馬城の主、飯尾連竜(乗竜とも伝えられる)の妻、お田鶴の方(おたづのかた)です。

【徳川家相手に奮戦し、命を散らした女城主】

IMG_2109
徳川家康公は1568年に遠江を手に入れるために岡崎から曳馬(現・浜松)に進出しました。
このとき第5代曳馬城主だったのがお田鶴の方でした。夫の飯尾連竜はすでに今川氏真の謀略にはまって命を落としていたのです。

徳川家康公は好待遇を約束するから徳川に味方し城を開けるようにと何度も使者を出しましたが、お田鶴の方は首を縦に振りませんでした。
徳川家康公はやむなく曳馬城を攻めます。
お田鶴の方は数百の部下とともに籠城しますが多勢に無勢。数日後には城は落ちました。18人の侍女たちとともに自ら薙刀をもって最後まで戦ったそうです。
部下ともども討ち死にしたその姿を見て、徳川家康公はお田鶴の方を賞賛して手厚く葬りました。
徳川家康公の正室、築山御前も女傑の最後を憐れみ、墓に多くの椿を植えて供養したといいます。このことからお田鶴の方を椿姫と呼ぶようになったとか。

この話は諸説あってどれも微妙に異なるのですが、お田鶴の方が最後まで戦い討ち死にしたのは同じようです。
その生き様は徳川家康公だけでなく、当時の武士や後世の人々の心を強くうったのでした。

【十字路の片隅に佇む小さなお堂】

IMG_2108
この小さなお堂がお田鶴の方を祀った椿姫観音堂です。
入り口に掛けられた風鈴が時々しずかな音を奏でて、なんだか「どうぞお入りください」とお声を頂戴した気持ちになりました。
横幅は二人並んだらもういっぱいいっぱいです。
きちんとお参りをしてから撮影開始。

IMG_2116
活けられた花が綺麗で、常に手が入ってる様子がうかがえます。
毎年11月には地元の方々が追善供養もしているようです。今もなお崇敬されているのですね。

IMG_2117
この案内ボタンは必聴。前述したお田鶴の方の言い伝えを聞くことができます。
さらに右側には祈願石なるものが!

IMG_2120
IMG_2121
お参りした後に触れながら願い事をするのだそうです。なかなか幅広いご利益がありますよ!
しっかりお願いしてきました。

【小さくも温かな人の気持ちがこもったお堂。椿姫観音堂】

IMG_2119
椿姫観音堂はとても綺麗に手入れされていて、地元の人々に愛されているのだなぁと感じました。
音声解説をきけたり、願い事がかなうとされるパワーストーンがあったり、小さくも見所があるスポットです。
浜松に来たらぜひ訪ねてみてください!
悲劇的ながら鮮烈な最後で歴史に名を刻んだ女城主は、今もひっそりと曳馬を見守っています。

■椿姫観音堂へのアクセス

IMG_2042
所在地:静岡県浜松市中区元浜町133(34.714842, 137.732955)
見学:無料
アクセス:
<電車>JR「浜松駅」から遠州鉄道「新浜松駅」乗り換え10分「遠州病院駅」下車。徒歩10分
<徒歩>JR「浜松駅」から徒歩20分。

武将カテゴリ

地域カテゴリ

Atsushi.H

フリーWebライター。おもに地元静岡県の歴史、偉人、観光情報をいろいろなサイトで発信中です。好きな戦国武将はやはり地元と関連がふかい徳川家康公。二代将軍秀忠公も地味にすごいと思うのですがどうでしょう。

この記事へのコメントや情報提供をお待ちしています

ログイン してコメントを投稿して下さい。
ユーザー登録がお済みでない方は 登録画面 にて登録後、コメントを投稿して下さい。

中部地方の記事

人気記事

武将名や合戦場所などで検索

地域カテゴリ一覧

徳川家康の記事

バックナンバー記事

次の10件を見る

戦国武将の生涯をたどる
  • 信長公の生涯をたどる

    天下布武その生涯をめぐる
    <勝幡〜清洲〜岐阜〜安土>

  • 秀吉公の生涯をたどる

    日本一出世 その生涯をめぐる
    <名古屋〜長浜〜大阪〜京都>

    豊臣秀吉年表へ
  • 家康公の生涯をたどる

    天下泰平までの道のりをめぐる
    <岡崎〜浜松〜江戸〜駿府>

    徳川家康年表へ
  • 加藤清正年表へ