愛知の城を巡る 山中城
2024.04.20
2020.08.14
築城の名人と言われた、加藤清正もしくは藤堂高虎が普請した城。
選ばれる三城については、時代などにより諸説あるが、
この連載では大阪城・熊本城・名古屋城を三名城とする。
別名:金鯱城、蓬左城など。愛知県名古屋市にある梯郭式平城。
1610年に天下普請として築城開始。1615年に完成し、徳川義直が入城。
天守は2018年5月をもって閉館となっており、いずれ木造復元する予定。
今回ご紹介する写真は、すべて2014年に訪れた際のものです。
まずは南西側の入口である正門、またの名を旧榎木多門から入ってゆきましょう。
正門をくぐるとすぐあるのが、名古屋城名物と言えるこの金のシャチホコ。
そのシャチホコを左手に北方向に目を向けると、天守が正面に見えます。
加藤清正による美しい石垣を堪能できるのがこちらの方角。鹿はいたりいなかったり。
こちらは西北隅櫓。本丸の北西方向にある御深井丸(おふけまる)の隅にあります。
御深井丸を東に進めば、本丸北側にある不明門へ。一枚目は外側、二枚目は内側からの写真。
不明門に近い位置の天守台石垣には、担当した証として「加藤肥後守」と入ったものも。
画像を縦回転させると、なんとなく右上から「加藤肥後守」と読めます。
不明門をくぐって本丸へ。本丸側からは、空襲で色が変わった石垣も見られます。
本丸の東側にある本丸表一之門跡。足を踏み入れると、左手には巨大な「清正石」が。
さらに奥には、体育館付近があった付近から移築された東二之門があります。
解体が決まり閉鎖された天守に変わり、目玉として建築されたのがこの本丸御殿。
2018年に完成したため、2014年当時はまだ一部しか見ることができませんでした。
表二之門を通過し、二之丸へ。こちらは、二之丸から見る東南隅櫓。
石垣普請を現場で鼓舞する清正公像や、那古野城跡があるのもこの二之丸です。
名古屋城の東側入口・二之丸東鉄門跡。石垣とともに広大な空堀も楽しめる場所。
こちらは正門の西側にある巾下(はばした)御門跡。石垣の刻印が間近で見られます。
今回で日本三名城の巻は終了。次回からは新シリーズをお送りします!
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電車で行く:地下鉄名城線「市役所駅」より北へ徒歩約5分。
車 で行く:名古屋高速都心環状線「丸の内IC」より北へ約5分。
新井 良典
愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。
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