武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2022年3月13日記事のため内容が古い可能性があります。

城を巡る 復興天守の巻:高島城

2022.03.13

復興天守とは

かつては天守が存在した城に再建するもののうち、
資料が乏しいため他の天守を参考に再建したり、
資料はあるものの異なる外観で再建された天守を指す。

かつて諏訪の浮城と称された「高島城」

別名:島崎城など。長野県諏訪市にある連郭式平城。
日根野高吉による築城。1970年に現在の天守が再建される。
かつては水城であったため、日本三大湖城のひとつとされている。

東側石垣と堀

現在は観光駐車場となっている、高島城南ノ丸跡から西進し高島公園へ。
櫓跡や塀の下にある石垣と堀を見ながら、北方面へ歩いてゆきましょう。


角櫓

続いて左手に見えてくるのが、北東部にあたる位置にある角櫓(=隅櫓)。

このあたりからの眺めは、角櫓と冠木門・天守が収められる定番の撮影スポットです。

冠木門跡

冠木橋の先には冠木門…と思いきや、目の前には立派な楼門スタイルの門が。
かつてここには簡易な冠木門があり、現在は名称だけが残っているそうな。


天守

冠木門から本丸へ入る前に、個性的な復興天守の方へ。
破却前の古写真と比べると、最上階部の窓数などが異なります。

天守の西側は、残念ながら埋め立てられており現在は駐車場に。
ちなみに、天守台石垣より小さめに建てられた天守構造は破却前と同じです。

本丸跡

来た道を戻り、冠木門から公園となっている本丸へ。
本丸にはゆったり散策できる庭園や、縁起の良い亀石などがあります。

先程外側から見た角櫓を、今度は本丸内から。休日は茶室として利用されているとか。

本丸から見た天守

天守へ続く階段あたりから一枚。天守南側には狭い小天守跡があります。
大天守よりかなり低い位置にあった小天守、はたしてどのような姿だったのでしょうか。

最上階からは、かつてつながっていたという諏訪湖が一望できます。

櫓跡・多門跡

こちらは、角櫓とともに東側を見張っていた持方月櫓跡と、両櫓を接続していた多門跡。

南東には富士見櫓跡があり、もう少し南進するとあるのが土戸門跡。
この門は、冠木門を通る資格のない人たちの勝手口だったそうです。

三之丸御殿裏門と諏訪護国神社

最後は、西側の入口で往時は船乗り場であった御川渡門跡へ。
現在は、現存建築物である三之丸御殿の裏門が移築されております。

すぐ横には諏訪護国神社もあり、こちらにもひっそりと多門跡が。

最上階から諏訪湖を望むと、水城だった往時の姿が少しイメージできました。。
次回は、松平忠輝の居城として天下普請でつくられた新潟県のあのお城へ。

 

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高島城へのアクセス

電車で行く:JR「上諏訪駅」下車後、南西方面へ徒歩約15分。
車 で行く:中央自動車道「諏訪IC」より、北方面へ約15分。

地域カテゴリ

新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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