武将愛 SAMURAI HEART

100名城を巡る 小諸城

2024.02.27

この連載は、公益財団法人日本城郭協会が定めた「日本100名城」の中で、
筆者が訪れたことがあるお城を紹介してゆくものである。
なお、城郭名は「日本100名城」の表記に合わせ記してゆく。

城下町より低い場所に築かれた唯一の穴城「小諸城」

今回の史跡は、日本100名城の28番、長野県小諸市の「小諸城」。

平安時代末期頃、木曽義仲の武将だった小室光兼が築いた館が起源とされ、
1487年(長享元年)に大井光忠が現在の小諸城二の丸跡あたりに鍋蓋城、
その後に子である大井光安が出城の乙女坂城を築いたとされています。

1554年(天文23年)、この地を手中に収めた武田信玄が拡張整備。
言い伝えによれば、縄張りは山本勘助と馬場信房が担当し築城、
この時に現在残る小諸城の原型ができたといわれております。

武田氏滅亡後は、織田氏→徳川氏の支配を経て仙石秀久が城主となり、
仙石秀久が領主となった約24年の間に、「小諸城」は大幅に整備。
その後、仙石秀久の子である仙石忠政が上田藩へ移封されると、
城代がおかれた後に松平氏→青山氏→西尾氏→石川氏を経て牧野氏が入封。
以後、版籍奉還までの約170年、牧野氏10代の居城となります。

明治時代、本丸跡に懐古神社が祀られたことから「懐古園」と名付けられ、
現在園内には石垣などが残るほか、動物園や遊園地がつくられております。

 

仙石久秀を感じる「小諸城」の見学ルート①

・三ノ丸跡にある駐車場からスタート
1612年に建てられた現存建築物の「大手門」をまずチェック

・大手門から西へ進み、線路下のトンネルから「三の門」へ
門に向かって下り坂になっており、城郭が低い位置にあるのがわかりますね

・門の近くには「徳川秀忠憩石」なるものが
上田城攻めの際に、徳川秀忠が腰掛けた石だといわれております

・料金所を通り、右手にある復元された石垣を見がてら前進
正面には「二の門跡」が見えてきます

・二の門跡をくぐり、右側上方にある「二の丸跡」を見学

・二の丸跡から戻って階段を下り、西方向へ進みましょう
写真左の石垣上が「南丸跡」、右側手前が「番所跡」です

・番所跡の隣にある「北の丸跡」は、現在弓道場として活躍中

・「黒門橋」の手前にある案内図を見て、小諸城の全体を確認

・黒門橋を渡り、「黒門跡」から本丸跡へ入ってゆきましょう

 

波乱万丈の末「小諸城」城主となった仙石秀久の歴史

『センゴク』という漫画の主人公にもなった仙石秀久は、
美濃を支配した斎藤氏に仕え、斎藤氏が稲葉山城を追われると、
織田信長に気に入られ羽柴秀吉の寄騎(よりき、羽柴秀吉の直接の部下ではなく
織田信長が自分の部下とした後に秀吉軍に入れる仕組み)となります。

羽柴秀吉に従軍し姉川の戦いや中国攻めなど数多くの戦で活躍、
淡路を平定後、四国への抑えを任され長宗我部元親と対陣。
1583年(天正11年)に起こった引田の戦いでは長宗我部軍に敗れるものの、
羽柴秀吉は淡路平定を評価し、仙石秀久に淡路国5万石を与えました。

ここまで順調に出世してきたように思える仙石秀久ですが、
1586年(天正14年)の九州攻めでそのキャリアは一転します。
軍目付(いくさめつけ)として九州攻めの先陣を任された仙石秀久ですが、
まとめるのは最近まで敵同士だった長宗我部氏ら四国勢の軍と、
数はいるものの戦意に乏しい九州の大友軍という混成軍。

頼みの豊臣軍も遅れており、焦った仙石秀久は先陣のみで島津軍へ攻撃し、
戸次川の戦いで島津軍に敗北を喫してしまいます。
「防備に徹するように」という命令を破り、独断で攻め結果大敗。
これに豊臣秀吉は激怒し、仙石秀久は改易と高野山追放を命じることに。

しかし、これで終わらないのが仙石秀久。
1590年(天正18年)の小田原攻めに浪人衆を率いて駆け付けると、
徳川家康の取り成しもあり従軍を許されて活躍。
戦後に豊臣秀吉は仙石秀久を許し、小諸国5万石を与えました。

その後、仙石秀久は豊臣秀吉亡き後も徳川家康・徳川秀忠からの信頼を得、
1614年(慶長19年)に江戸から小諸へ戻る途中に逝去。
その波乱万丈の人生は、漫画『センゴク』シリーズで辿れますので、
未読でご興味のある方は、是非ご一読ください。

鎌倉鶴岡八幡宮 | 豊臣秀吉から徳川家康へ 武家政権を補償する神が存在する社 

 

仙石久秀を感じる「小諸城」の見学ルート②

・現在、本丸跡には「懐古神社」が鎮座しております

・境内にある「鏡石」は、山本勘助が愛用したと伝わっているとか

・懐古神社本殿を右へ進み、「天守台跡」を上からチェック

・「天守台跡」から南側に伸びる見事な石垣を堪能しましょう

・こちらは、下から見た「天守台跡」の石垣
1626年に落雷で焼失するまで、三層の天守があったとか

・本丸跡の北側には、「酔月橋」が架かる「地獄谷」という深い谷が
「酔月橋」から振り返れば、その断崖絶壁ぶりを実感できます

・酔月橋から戻り、「馬場跡」を北から南へ移動
南端にある「富士見展望台」から東へ進み、動物園方面へ

・城内にある「小諸市動物園」でペンギンなどを見ながら北東方面へ
動物たちを見ながら進んでゆくと、三の門方面まで戻れます

 


 

「小諸城」の北西には「上田城」、南には「龍岡城」があります
どちらも車で30分ぐらいの距離なので、併せて行くのがおススメ


三の門の北側にある「小諸市のマンホール」

今回の史跡「小諸城」

小諸城址 懐古園
場所:長野県小諸市丁3112

電車でのアクセス:JR「小諸駅」下車後、徒歩約5分
車等でのアクセス:上信越自動車道「小諸IC」から南方向へ約7分

地域カテゴリ

新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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