武将愛 SAMURAI HEART

この記事は2022年8月28日記事のため内容が古い可能性があります。

城を巡る 模擬天守の巻:大多喜城と亥鼻城

2022.08.28

模擬天守とは

・城はあったが天守はなかった地に建てられた
・城に天守台はあったが天守はなかった地に建てられた
・城に天守はあったが、往時とは異なる場所に再建された
以上のいずれかに該当する天守を指す。

大多喜城

千葉県夷隅郡大多喜町にある、本多忠勝が築いた城。
1975年に天守が再建されたが、天守が存在したかについては諸説ある。

三口橋から見た天守

大多喜城といえば、まずは三口橋(さんくちばし)から見るこの構図。

時刻表をチェックし、いすみ鉄道が鉄橋を通る時間に合わせて行きました。

大多喜城を築いた本多忠勝像

三口橋から東へ500mほど移動し、同じく夷隅川にかかる行徳橋へ。
こちらには、小ぶりですが威厳のある本多忠勝像がおわします。


大多喜城への登城路

大多喜城の駐車場まで移動し、天守方面へ移動しましょう。
城の西側にあたるこちら側には、空堀やら二の丸公園やらがあります。

大多喜城の天守

大多喜城の駐車場から5分ほど歩いて本丸へ。こちらの天守は、1975年に建築。

天守があったとみれば復興天守、無かったとみれば模擬天守…
今回は大多喜城を模擬天守の巻でご紹介していますが、果たして真相やいかに。

大井戸と薬医門

大多喜城本丸の東側、現在大多喜高等学校のある二の丸跡には大井戸が。

高校の敷地内には、唯一の遺構である二の丸御殿薬医門もあります。

亥鼻城

千葉県千葉市にある、千葉氏が築城した城。通称:千葉城。
1967年に完成した模擬天守は、現在「千葉市立郷土博物館」となっている。

亥鼻城の天守

東側の駐車場から見た天守と、やや南側に移動して見た天守。
小田原城をモデルとして建てられたそうです。

南西側からも一枚。夏に行った際は、ひまわりが咲いておりました。

源頼朝を支えた千葉常胤像

天守の西側には、馬上で弓を引く勇ましい千葉常胤の像も。
源頼朝の覇業を支え、頼朝が父のように慕ったという人物です。


土塁と空堀跡

こちらは、亥鼻城唯一の遺構といわれる天守北西あたりの土塁。

鬼門の方角には神明社があり、郭間の舗装された道は空堀の跡だとか。

今回は、今年の夏訪れた千葉県の大多喜城と亥鼻城をお送りしました。
大多喜城は休館中、亥鼻城は時間切れで入れなかったのが残念です。

 

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大多喜城へのアクセス

電車で行く:いすみ鉄道「大多喜駅」より、西方向へ徒歩約15分。
車 で行く:首都圏中央連絡自動車道「市原鶴舞IC」より、南方面へ約20分。

亥鼻城へのアクセス

電車で行く:千葉都市モノレール「県庁前駅」より、東方向へ徒歩約10分。
車 で行く:京葉道路「穴川IC」より、南方面へ約10分。

地域カテゴリ

新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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