100名城を巡る 甲府城
2024.10.29
2016.03.13
徳川家康公は29歳から45歳までの約17年間、浜松城を居城として過ごしました。
あの有名な敗戦「三方ヶ原の戦い」に代表されるように、武田家と長く熾烈な勢力争いをしていた時期です。当然、浜松市には徳川家康公ゆかりの説話や史跡が多く残っています。
これから日本全国にいらっしゃる多くの徳川家ファンのために、あえてあまり知られていない史跡をご紹介していこうと思います。
この徳川秀忠公誕生の井戸もその一つ。
小さな史跡というよりも伝承をもとに再現したオブジェなのですが、やはり徳川ファンなら訪ねておくべきでしょう。特に秀忠公ファンは!
江戸幕府を立ち上げた海道一の弓取、徳川家康公。
参勤交代や鎖国体制など江戸幕府の制度を完成させた3代将軍、家光公。
この二人に挟まれた二代将軍秀忠公はどうしてもちょっと影が薄い存在です。合戦では関ヶ原の戦いに遅れたり、大坂冬の陣では強行軍を繰り返すなど、武将としての能力は低かったともいわれます。
ですが徳川家康公の後を継ぎ幕府の基礎を固め、家光公への繋いだ政治手腕は並々ならないものです。秀忠公が有能だったからこそ江戸幕府が約260年も続いたといえます。
江戸幕府の土台を作り上げた守成の将軍。それが徳川秀忠公なのです!
その秀忠公が生まれたのがこの浜松の地でした。
ここがその秀忠公の生誕の地!
1579年(天正7年)秀忠公が生まれた際に産湯として使われた井戸が、この『徳川秀忠公誕生の井戸』。
といっても本当の井戸はこの場所から西に50メートルほど離れたところにあったそうです。
明治までは残っていたようですから、本物を見たかったと思うのは歴史ファンのわがままでしょうか。
この周辺に下屋敷があり、徳川家康公の側室であった西郷局が秀忠公を産みました。
……なんだかこの史跡自体が秀忠公のように陰に隠れてひっそりと立っていて、意識して探さないと素通りしてしまうのではないでしょうか。
もうちょっと目立ってもいいと思います。秀忠公の史跡。
なんだかしんみりと見学してしまいましたが、この地で生まれた一人の赤子があの長く栄えた江戸幕府の二代将軍になったのかと思うと、運命というか歴史の流れを感じますね。
『徳川秀忠公誕生の井戸』は浜松市にある徳川家康公ゆかりの史跡『家康の散歩道』の一つに挙げられています。
浜松市に来たら立ち寄ってみてください。特に絶対いるはずの秀忠公ファンはぜひ!
所在地:静岡県浜松市中区常盤町141-25(34.710277, 137.733212)
料金:無料
アクセス:
<電車>JR「浜松駅」下車。遠州鉄道「新浜松駅」に乗り換え10分「遠州病院駅」下車し南口降りてすぐの交番裏手。
<徒歩>JR浜松駅から徒歩15分。
駐車場:駐車場なし
Atsushi.H
フリーWebライター。おもに地元静岡県の歴史、偉人、観光情報をいろいろなサイトで発信中です。好きな戦国武将はやはり地元と関連がふかい徳川家康公。二代将軍秀忠公も地味にすごいと思うのですがどうでしょう。
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