武将愛 SAMURAI HEART

続100名城を巡る 増山城

2024.09.16

この連載は、公益財団法人日本城郭協会が定めた「続日本100名城」の中で、
筆者が訪れたことがあるお城を紹介してゆくものである。
なお、城郭名は「続日本100名城」の表記に合わせ記してゆく。

越中三大山城のひとつに数えられる「増山城」

今回の史跡は、続日本100名城の135番、富山県砺波市の「増山城」。

詳しい築城年代は不明ですが、南北朝時代にあたる1362年(貞治元年)、
「二宮円阿(えんあ)軍忠状」に「二宮円阿が和田城を守った」という旨の
記載があり、この和田城がのちの増山城だといわれております。

その後、神保長職(ながもと)が守護代として入り増山城を整備。
1576年(天正4年)に越中へ侵攻した上杉謙信により落城、
1583年(天正11年)には佐々成政が越中を平定しこの地を治めた後、
敵対した豊臣秀吉の侵攻に備え1585年(天正13年)に増山城を改修します。

佐々成正が豊臣秀吉に降伏した後は前田氏が領有する地となり、
前田利家の重臣である中川光重が増山城の城主に。
しかし、城主となった後に中川光重は課役を怠って蟄居することとなり、
しばらくの間は妻の簫姫(しょうひめ、前田利家の娘)が城を守っていたようです。

「増山殿」と呼ばれた簫姫が没した後、1605年(慶長10年)頃に廃城、
2009年(平成21年)に国の史跡に指定。
同じく富山県にある松倉城(魚津市)、守山城(高岡市)とともに、
堅固な山城として「越中三大山城」のひとつに数えられております。

 

「増山城」の見学ルート①

・増山陣屋にある駐車場からスタート、和田川ダムから南下します

・北側の入口にある「冠木門」と、付近にある案内板
 今年の4月半ばに訪れた時は、桜が散りはじめておりました

・設置された鐘を鳴らしてから登城開始
 まず見えてくるのは、北側を監視するため設けられた「F郭」

・F郭へ登る前に立ち止まり、左右を見渡せば素晴らしい「大堀切」が

・大堀切を堪能した後、「F郭」へ入り来た道を見返す

・F郭から順路へ戻り、その上に見えていた「馬之背ゴ」へ
 土塁の形が馬の背中に似ていることから名づけられたそうな

・馬之背ゴの先端まで進めば、「大堀切」を見下ろせます

・馬之背ゴから東へ進むと、左手に現れるのは「又兵衛清水」
 往時は、城内における重要な水源地として重宝していたのでしょう

・石垣があったとされる箇所を通過、右へ進み「一ノ丸」へ
 ここからは西側の和田川方面が見渡せます

 

「増山城」を舞台とした、神保長職と上杉謙信の争い

戦国時代と呼ばれる頃の越中国は、富山城を拠点とした神保長職と
松倉城を拠点とした椎名康胤(やすたね)が覇者の座を巡り対立。

1560年(永禄3年)に神保長職が松倉城に攻めてくると、椎名康胤は
上杉謙信(当時は長尾景虎、以後上杉謙信に統一)に支援要請を出し、
これを受けた上杉謙信が越中へ参戦します。
対する神保長職は、武田信玄や越中一向一揆と連携しますが、
上杉謙信に富山城を落とされ増山城へ敗走することに。

神保長職は上杉謙信と一旦和睦するも、椎名康胤への圧迫はやめず。
1562年(永禄5年)に再び上杉謙信が襲来しここでも敗れますが、
上杉軍が去った後、越中一向一揆と組み椎名氏側の城を攻め落とします。
しかし、この直後またも襲来した上杉謙信に増山城を包囲され降伏。

その後、越中一向一揆と戦うため上杉謙信と共闘した神保長職でしたが、
1571年(元亀2年)に再び敵対、この頃に亡くなったといわれております。
上杉謙信は1576年(天正4年)に越中国と能登国の平定を目指し侵攻、
増山城や富山城、七尾城を落とし両国を平定させることに成功。
ちなみに、神保長職と越中国を巡り敵対していた椎名康胤も
この一連の戦いの中で亡くなったといわれております。

 

「増山城」の見学ルート②

・一ノ丸から戻り、奥に見える「二ノ丸」方面へ進みましょう

・こちらが、増山城の主郭だったと見られる「二ノ丸」
 最高所にあり、隅櫓があったことから主郭だったと推測されております

・二ノ丸北東隅には、隅櫓があったとされる「鐘楼堂」が
 北側を見下ろせば、安室屋敷との間にある大堀切が楽しめます

・西側へ戻り、二の丸の南に伸びる「無常」方面へ移動

・さらに南へ降りて行けば、「鐘撞(かねつき)堂」と「南櫓台」もあります

・二ノ丸南側の「横堀」を道なりに進み、北東方面に移動
 少し歩けば左手に「馬洗池」、右手に「三ノ丸」があります

・馬洗池を西に進むと、増山城の見どころである「大堀切」が
 10m以上もの深さがある「大堀切」は、上から見ても下から見ても良し!

・最後は、ハシゴを上り「安室(あぢち)屋敷」へ
 東に三ノ丸、南に二ノ丸という重要な位置を占める郭です

 


 
増山城から東方向にある「富山城」、北方向にある「高岡城」は
それぞれ車で30分くらいの距離にあるのであわせて巡りたいところ。
越中三大山城である「松倉城」と「守山城」も捨てがたいですね。


和田川を挟んだ西側にある「増山城下町土塁跡」

今回の史跡「増山城」

場所:富山県砺波市増山

電車でのアクセス:JR「砺波駅」下車後、
「砺波駅前」バス乗車、「増山」下車徒歩15分
車等でのアクセス:北陸自動車道「砺波IC」から東方向へ約20分

地域カテゴリ

新井 良典

愛知県出身、三重県在住の社会保険労務士。一番好きな武将は大谷吉継公。現代にも活かせる人財づくりを戦国武将から学ぶ「いい武将研究会」を主催し、城や戦国武将に関する執筆や講演活動も行っている。

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